長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十三 (100頁~)
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後水尾
元和五年五月二九日
1619
千村良重等、香坂仁兵衛等をして、蔵米を出さしむ、 千村良重等、香坂仁兵衛等より蔵米代金を請取る、
101
後水尾
元和五年六月二日
1619
幕府、安芸広島城主福島正則の、私に居城を修築せるを譴め、陸奥津軽に転封を命ず、尋いで、松城城主酒井忠勝等に命じて広島城を請取らしむ、
102
後水尾
元和五年六月一〇日
1619
松本城主松平康長の長子永兼、卒す、
106
後水尾
元和五年六月一五日
1619
飯山城主佐久間安政、京都の山科言緒に物を送る、
107
後水尾
元和五年六月一七日
1619
小県郡東昌寺住持昌隆、盛応、理春の請に応じ、之に道号の二大字及び説を授く、
107
後水尾
元和五年六月二四日
1619
山中八左衛門尉、中山吉左衛門をして、保科正光分材木代米を支払はしむ、
108
後水尾
元和五年六月二四日
1619
松平康長、安曇郡塩島村に、同村の前年年貢勘定書を渡す、
108
後水尾
元和五年六月二九日
1619
伊那郡遠山の遠山伝右衛門等、千村良重代人に元和四・五年分綿年貢の延納を乞ふ、
110
後水尾
元和五年六月三〇日
1619
伊那郡遠山の遠山七郎右衛門等、千村良重代人に同郡遠山・和田村等の本年綿年貢等の納高并に前年の未進分を報ず、
110
後水尾
元和五年
1619
幕府、陸奥弘前城主津軽信枚を信濃川中島に移さんとす、尋いで、信枚の内訴により、これを停む、
113
後水尾
元和五年
1619
佐久間安政の家臣原惣右衛門等、水内郡森村の青苧畑を検地す、
114
後水尾
元和五年
1619
木曽泉蔵院某、三宝荒神経を書写す、
116
後水尾
元和五年七月二日
1619
幕府、福島正則の陸奥津軽移封を停め、信濃高井郡・越後魚沼郡に於いて四万五千石を与へ、高井郡高井野村に蟄居せしむ、
117
後水尾
元和五年七月一三日
1619
山村良勝、千村重利に、木曽贄川・伊那郡小野等の年貢・役金皆済手形を渡す、
120
後水尾
元和五年七月二一日
1619
伊那郡座光寺為時、千村良重等より、幕府用材仕出扶持米を請取る、
121
後水尾
元和五年七月二二日
1619
幕府、福島正則に令し、川中島又び越後に於いて、知行地を請取らしむ、
122
後水尾
元和五年八月五日
1619
千村良重、伊那郡上穂村に、元和四年分年貢皆済手形を渡す、
126
後水尾
元和五年八月一五日
1619
酒井忠勝、埴科郡蓮光寺に同郡東条村の地を寄進す、
127
後水尾
元和五年八月二〇日
1619
真田信之、領内寺社領改を行ふ、是日、領内の寺社改帳を録上す、
127
後水尾
元和五年九月八日
1619
宮崎安重代官所百姓作兵衛等、向山主水より金子を預る、
130
後水尾
元和五年九月九日
1619
是より先、真田信之、徳川秀忠に供奉して上洛す、是日、信之、京都より坂巻夕庵平次、に書を送り、信之の室の看病の労を謝す、 信之、京都にありて、出浦昌相父子に書を遣はし、江戸参府の労を効犒ふ、 信之、子信吉の所労を案じ、夕庵に治療を依頼す、
131
後水尾
元和五年九月一〇日
1619
伊那郡石林村の六左衛門、石林・荻坪両村の村高・年貢のことを、井上庸名の手代大村平左衛門等に書出す、尋いで、同郡毛路窪村の喜左衛門等も指出す、
134
後水尾
元和五年九月一四日
1619
幕府、福島正則・同忠勝の川中島移徒を促す、尋いで、正則等、同地に移る、
136
後水尾
元和五年九月一八日
1619
近藤百千代重直、の手代白崎宗兵衛・井上庸名の手代大村平左衛門、伊那郡大草村に於いて知行地割分を行ひ、諸事を協約す、
137
後水尾
元和五年九月二一日
1619
真田信之父子、京都より帰国せんとす、是日、老臣出浦半平等、小県郡小林九右衛門等をして、路用の賄米を木曽奈良井宿に届けしむ、
138
後水尾
元和五年九月二一日
1619
酒井忠勝、埴科郡本誓寺に禁制を掲ぐ、
143
後水尾
元和五年九月二六日
1619
近藤百千代、重直、伊那郡上穂村の給知百姓より年貢高等の書上を徴す、
144
後水尾
元和五年九月二七日
1619
脇坂安元の家臣遠藤少右衛門、伊那郡下殿岡の与右衛門より米を請取る、
145
後水尾
元和五年
1619
脇坂安元、伊那郡飯田城内の田畑を検地す、
145
後水尾
元和五年一〇月一日
1619
小笠原忠知の家臣荻原重次等、高井郡塩野村諏訪社に社領を寄進す、
152
後水尾
元和五年一〇月一一日
1619
伊那郡下殿岡村、元和五年の年貢納帳を記す、
153
後水尾
元和五年一〇月一八日
1619
安曇郡大田正勝、同郡小谷村中谷諏訪社を造立す、
159
後水尾
元和五年一〇月二〇日
1619
是より先、松平宗世、越後より三河形原に知行替を命ぜらる、是日、宗世、家中の者の信濃通過を、信濃の口留番所等に依頼す、
159
後水尾
元和五年一〇月二五日
1619
真田信之、長井九助に知行を加給す、
160
後水尾
元和五年一一月三日
1619
伊那代官市岡忠次等、諏訪頼満頼水、より板子を請取る、 保科正光の家臣山岸六兵衛等、諏訪頼満の家臣小松長右衛門等より板子・瓦板を請取る、
161
後水尾
元和五年一一月一〇日
1619
是より先、安芸厳島神社祠官棚守左近将監及び同社供僧大願寺、福島正則のため神前の祈祷を致し、供米を高井郡の正則の許に送る、是日、正則、之に答謝す、
163
後水尾
元和五年一二月一日
1619
仙石忠政、小林五郎左衛門に知行を給す、
164
後水尾
元和五年一二月二日
1619
伊那郡小松原の原太兵衛等、同与一右衛門に家屋敷・田畑を渡す、
165
後水尾
元和五年一二月六日
1619
真田信之、太田加右衛門等をして、小県郡長窪料所内田地作人に惣百姓並の田地役を課す、
165
後水尾
元和五年一二月七日
1619
真田信之、小林九右衛門を、旧の如く小県郡長窪村石合分代官となし、代官免を給す、
166
後水尾
元和五年一二月七日
1619
川原右京亮、小県郡内知行地目録を真田信之に指出す、
168
後水尾
元和五年一二月七日
1619
仙石忠政、小松三郎右衛門に、佐久郡三井村に於いて知行を給す、
168
後水尾
元和五年一二月九日
1619
岩城貞隆の家臣半田佐々衛門等、信濃領内物成の収支を貞隆に報ず、
169
後水尾
元和五年一二月一〇日
1619
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
170
後水尾
元和五年一二月一一日
1619
小県郡秋和村百姓等、病患を絶たんがため、同村鎮守観音の別当に、更級郡長谷寺の僧を招請せんとし、その幹旋を奉行所に依頼す、
170
後水尾
元和五年一二月一三日
1619
真田信之、小県郡長寿院屋敷の百姓役を免除す、 矢島弥右衛門、出浦昌相の意に随ひ、長寿院門前百姓の水役を免ぜんとする旨を昌相に報ず、
171
後水尾
元和五年一二月一三日
1619
諏訪社上社、同社明年神使の御頭を定む、
172
後水尾
元和五年一二月一六日
1619
真田信之、三左衛門姓闕くより、本年の年貢米払代金を請取る、 真田信之、矢沢頼幸等をして、先の代官よりの預米を払ふことなからしむ、
173
後水尾
元和五年一二月一九日
1619
真田信之、坂巻夕庵平次、に上野吾妻に於いて知行を給す、尋いで、師岡源兵衛に小県郡に於いて知行を加給す、
174
後水尾
元和五年一二月二〇日
1619
真田信之、木村綱茂の同所左衛門の百姓を被官として召使ひ、その田畑を荒廃せしむるを停め、出浦半平等に命じ、代官に非ざる者の濫に百姓を使役するを禁ず、 出浦某、その下代官名左衛門の請人等をして、名左衛門の不法による質物を弁済せしめられんことを信之に訴へ、聴さる、
175
後水尾
元和五年一二月二〇日
1619
高井郡野沢村、本年の年貢請払を皆済す、
177
後水尾
元和五年一二月二二日
1619
真田信之、長寿院僧某をして、小県郡秋和別当職を継がしめ、寺領を寄進す、
178
後水尾
元和五年
1619
江戸西城の普請あり、遠藤慶隆、木曽山の用材伐出のことを奉行す、
179
後水尾
元和五年
1619
幕府、千村良重等美濃久々利衆をして、徳川義利義直、に附属せしむ、
179
後水尾
元和六年正月七日
1620
真田信之、安中作左衛門に上野沼田に於いて知行を与ふ、
184
後水尾
元和六年正月一一日
1620
諏訪頼満、頼水、諏訪郡有賀郷内県明神社領の年貢を免除す、
184
後水尾
元和六年正月二七日
1620
是より先、諏訪頼満、頼水、幕府用材を天竜川を以つて輸さんとし流失す、是日、頼満の家臣千野頼房、三河代官中野重吉の家臣神保利兵衛に領内拾得材木の返還を求む、
185
後水尾
元和六年正月二八日
1620
川中島の某社祠官等、京都に梵舜を訪ふ、
186
後水尾
元和六年二月一六日
1620
小県郡霊泉寺住持、同郡徳泉寺を旧の如く霊泉寺末寺に定められんことを出浦昌相に訴ふ、
186
後水尾
元和六年二月一六日
1620
奥山宗巴、脇坂安元の家臣妻子の大和より信濃飯田に赴かんとするに依り、その通行手形を京都所司代板倉重宗に請ふて聴さる、
187
後水尾
元和六年二月二四日
1620
真田信之の室、本多氏、卒す、
188
後水尾
元和六年三月四日
1620
真田信之、料所小県郡拾人村の元和二年分蔵納高を同郡綱島庄五郎に示す、
188
後水尾
元和六年三月六日
1620
伊那郡駄科の喜右衛門、同郡万場の八右衛門に、田地・被官を譲渡す、
190
後水尾
元和六年三月一二日
1620
伊那郡虎岩村の平沢新十郎、脇坂安元の家臣布施隼人に米を納む、
190
後水尾
元和六年
1620
耶蘇会神父ベント・フエルナンデス、江戸より上野・信濃を経て、北国に向ふ、
193
後水尾
元和六年四月七日
1620
山村良勝、木曽岩之郷村に、慶長十六年より元和四年までの御役榑・買榑の皆済手形を渡す、
194
後水尾
元和六年四月八日
1620
山村良勝、木曽妻篭村に、慶長十年より元和四年までの年貢皆済手形を渡す、
194
後水尾
元和六年四月一五日
1620
山村良勝、木曽王滝村に未進年貢を催促す、
195
後水尾
元和六年四月一六日
1620
穴山信君梅雪、の後室武田氏、見性院、知行の内を割きて、保科幸松正之、に贈る、
195
後水尾
元和六年
1620
信濃の人中沢久吉、卒す、
196
後水尾
元和六年五月七日
1620
伊那の与右衛門尉、被官百姓孫四郎の奉公を賞し、興右衛門尉の死後、暇を出すべきを約す、
197
後水尾
元和六年五月一五日
1620
真田信之、小県郡奈良原又兵衛をして、同人の苅敷山に他人の入るを停めしむ、
197
後水尾
元和六年五月一七日
1620
酒井忠勝、水内郡法蔵寺をして、寺領を安堵せしむ、
198
後水尾
元和六年五月一九日
1620
伊那郡遠山七郎右衛門等、同郡遠山三ヶ村の、元和五年の年貢勘定目録を指出す、
198