長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十三 (200頁~)
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後水尾
元和六年六月九日
1620
豊後佐伯城主毛利高政、子高成と飯山城主佐久間安政女との婚儀の日取を山城南禅寺金地院塔主崇伝以心、に問ふ、是日、崇伝、之に答ふ、
201
後水尾
元和六年六月一一日
1620
真田信之、出浦半平に足軽を預く、
202
後水尾
元和六年六月一四日
1620
原縫右衛門等、諏訪社上社に剣等を寄進す、 善五郎等、諏訪社上社に鎌を寄進す、
202
後水尾
元和六年六月一五日
1620
山城聖護院門主興意、埴科郡和合院をして、川中島・諏訪・木曽・筑摩・安曇・伊那人等諸山参詣の先達たらしむ、
203
後水尾
元和六年七月一八日
1620
真田信之、上野大覚院をして、大乗院の跡式を安堵せしむ、
205
後水尾
元和六年七月二二日
1620
保科正光、幸松正之、を嗣と定め、諸事を保科正近等に託す、
206
後水尾
元和六年七月二三日
1620
近藤百千代重直、の家臣原兵衛、伊那郡上穂村知行分の年貢払方の勘定目録を、同村肝煎に渡す、
208
後水尾
元和六年七月二五日
1620
保科正光、伊那郡竜勝寺に禁制を掲ぐ、
210
後水尾
元和六年八月三日
1620
真田信之、石合新左衛門より去年分年貢の金子を、金井善兵衛等より原町去年分塩役金を請取る、 信之、石合新左衛門より、去年分年貢の金子を請取る、
210
後水尾
元和六年八月一二日
1620
伊那郡虎岩村、前年分の同村年貢を皆済す、 冨郷五郎右衛門等、虎岩村より、漆・布の代銀を請取る、
212
後水尾
元和六年八月二七日
1620
尾張藩主徳川義利義直、の国老竹腰正信等、山村良勝代官所美濃綿織村の元和三・四年分の年貢を請取る、
213
後水尾
元和六年九月三日
1620
真田信之の家臣祢津信直、小県郡定津院をして、寺領を安堵せしむ、
214
後水尾
元和六年九月一四日
1620
福島正則の子忠勝、配所高井郡高井野村に卒す、仍りて、正則、所領の内越後魚沼郡の地二万五千石を幕府に返納す、
214
後水尾
元和六年九月二七日
1620
酒井忠勝、水内郡田子村の検地を行ふ、
216
後水尾
元和六年
1620
幕府、知久則直をして、伊那郡浪合・小野川・帯川・心川の四関を守らしむ、
240
後水尾
元和六年一〇月一日
1620
幕府、木曽より江戸までの諸宿をして、伝馬廿疋を出さしむ、
241
後水尾
元和六年一〇月一日
1620
伊那郡虎岩村、同村百姓のつなぎ割米高を定む、
241
後水尾
元和六年一〇月一日
1620
伊那郡遠山の左藤左衛門尉、米を渡されんことを、同郡虎岩村平沢新十郎に依頼す、
243
後水尾
元和六年一〇月一一日
1620
徳川秀忠、水内郡長沼城主佐久間勝之に領知将を渡す、
244
後水尾
元和六年一〇月一九日
1620
川中島の邑主岩城貞隆、江戸に卒す、尋いで、子能化丸、吉隆、その遺領を嗣ぐ、
245
後水尾
元和六年一一月七日
1620
真田信之、奈良原又兵衛等に鉄砲を預く、
251
後水尾
元和六年一一月九日
1620
島忠左衛門、伊那郡大平弥兵衛に米代金を支払ふ、
251
後水尾
元和六年一一月一五日
1620
諏訪頼寛、諏訪社上社大祝の位に即く、
252
後水尾
元和六年一一月一八日
1620
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
252
後水尾
元和六年一一月二二日
1620
高井郡の邑主堀直升、同郡日滝村等の検地を行ふ、 堀領内の高井郡野辺村等の地詰帳
253
後水尾
元和六年一一月二三日
1620
伊那郡遠山七郎衛門等、同郡遠山の元和三・四・五年の年貢勘定書を、千村良重の手代中山吉左衛門に指出す、
296