長野県立歴史館 信濃史料

「信濃史料」 巻二十三 (400頁~)


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天皇 年月日 西暦 記事
後水尾元和七年一一月二五日1621真田信之、日置豊後に小県郡洗馬郷等に於いて知行を与ふ、412
後水尾元和七年一一月二六日1621佐久郡志賀の次兵衛、源丞と与兵衛との田畠争論につき、奉行所に答申す、413
後水尾元和七年一一月二九日1621諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、415
後水尾元和七年一二月五日1621伊那郡虎岩村、古米払を行ふ、この後も引続きそのことを行ふ、416
後水尾元和七年一二月八日1621仏成道日、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、421
後水尾元和七年一二月九日1621出浦昌相、金井善兵衛より小県郡別所足軽与兵衛の女房の身代金を請取る、422
後水尾元和七年一二月一〇日1621高井郡綿内村、前年の年貢を皆済す、423
後水尾元和七年一二月一〇日1621小県郡願行寺、同郡海野町に屋敷替を行ふにより、是日、真田信之、同町藤十郎等の屋敷を、同寺門前となす、424
後水尾元和七年一二月一六日1621仙石忠政、三郎兵衛より金子を請取る、424
後水尾元和七年一二月一八日1621真田信之、滝沢八兵衛の江戸奉公を賞し、知行を与ふ、425
後水尾元和七年一二月二一日1621新六等、大慶寺等の仲介により、善十郎より科を許さるるにより、この後善十郎に奉公すべきを約す、425
後水尾元和七年一二月二四日1621真田信之、真田信吉領内の隠米のことを定む、426
後水尾元和七年一二月二五日1621脇坂安元の家臣国木田重次等、弥右衛門と孫左衛門との争論につき裁許す、426
後水尾元和七年一二月二八日1621佐々木一正、筑摩郡栗林に卒す、427
後水尾元和七年1621真田信之、金井兵左衛門をして、城内の諸門定番衆を取締らしむ、428
後水尾元和七年1621片岡彦左衛門尉、茂右衛門をして佐久郡海瀬村新田を開かしむ、429
後水尾元和七年1621是より先、小県郡定津院英鷟、鸞峰、甲斐興因寺と本末及び相摸最乗寺輪住職を争ひ、その裁断を関三刹に請ふ、三刹、之を裁断し、興因寺祖を本寺と定め、最乗寺輪住権を同寺に付し、定津院を拈笑派のみの管領と定む、429
後水尾元和七年1621伊那郡虎岩村の元和七年分榑木帳、成る、430
後水尾元和八年正月元日1622山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、432
後水尾元和八年正月二五日1622伊那郡野池村外二ヶ村の前年の年貢勘定帳、成る、433
後水尾元和八年1622水内郡戸隠社社領の惣高割帳、成る、437
後水尾元和八年二月一三日1622仙石忠政、佐久郡野沢村の本年年貢高を定む、447
後水尾元和八年二月一五日1622前下野佐野の城主佐野信吉、罪を許されて、謫地松本より江戸に帰る、448
後水尾元和八年二月二三日1622真田信吉、出浦昌相等に上野吾妻郡の知行の替として、同心給等を与ふ、448
後水尾元和八年二月二四日1622真田信之、亡妻大蓮院、の三回忌にあたり寺を創建す、454
後水尾元和八年1622佐久郡諏訪社の造立、成る、458
後水尾元和八年三月一一日1622真田信吉、市場右京進を上野原町郷の代官に、また、長谷川徳右衛門を同国丹下村等の代官となす、459
後水尾元和八年1622山城建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、織田俊長の請に応じて、その祖父同長益有楽斎、の画像に讃語を加ふ、460
後水尾元和八年1622伊那郡虎岩村、同村百姓の元和七年七月より同八年五月までのつなぎ米の割を定む、462
後水尾元和八年五月九日1622伊那郡大雄寺住持玄広、性天、寂す、463
後水尾元和八年五月一二日1622神道管領長上吉田兼英、河中島の社家等に法度を頒つ、464
後水尾元和八年五月一五日1622松城城主酒井忠勝、神家の者の、領内に於いて諸山の参詣先達職を違乱するを停め、山城聖護院付属の山伏をして之を安堵せしむ、 山村良勝、神家の領内人民の諸山参詣先達職を違乱するを停め、聖護院付属の山伏に任す、保科正光、筑摩郡小野寺の、聖護院門主より冨士先達職を命ぜられしを、松城・松本・諏訪領に伝達せんとする旨を、聖護院執当に告ぐ、465
後水尾元和八年五月一八日1622伊那郡細田八兵衛等、同郡大草村間柱の番水を定む、467
後水尾元和八年六月一〇日1622千村良重の手代中山吉左衛門、伊那郡遠山百姓の目安に対する返弁書を記す、 中山吉左衛門の目安に対する返弁書468
後水尾元和八年六月一八日1622神道管領長上吉田兼英、高井郡山岸吉重に風折鳥帽子等の着用を允可す、473
後水尾元和八年六月二八日1622千村良重の手代中山吉左衛門、伊那郡虎岩村新十郎より、元和二年分の古米を請取る、474
後水尾元和八年七月六日1622安曇郡東小谷村、前年年貢を皆済す、474
後水尾元和八年七月八日1622伊那郡虎岩村、前年の年貢等を皆済す、476
後水尾元和八年七月一四日1622伊那郡瑞応寺住持玄智、機関、寂す、477
後水尾元和八年七月二〇日1622保科正光、伊那郡高遠の諏訪明神社を再建す、478
後水尾元和八年七月二一日1622伊那郡虎岩村肝煎平沢新十郎等、同村百姓の年貢高を柏木十大夫等に書上ぐ、478
後水尾元和八年七月二三日1622伊那郡上飯田村、前年の年貢米・小物成を皆斎す、483
後水尾元和八年七月二九日1622水内郡竹生村百姓等、高山伊勢を同村若宮八幡の祢宜となす、484
後水尾元和八年八月三日1622佐久間安政の家臣小川源兵衛等、高井郡秋山村平衛門等をして、同人等の印判を以つて書役を勤めしむ、485
後水尾元和八年八月二七日1622幕府、松城城主酒井忠勝を出羽鶴岡城に移す、尋いで、上田城主真田信之を松城に、小諸城主仙石忠政を上田に移し、徳川忠長をして、忠政の旧領を領知せしむ、 仙石忠政の小諸在封中の書状486
後水尾元和八年1622河西与惣右衛門、病気に依り、諏訪頼満頼水、に休養を願ひて、許さる、493
後水尾元和八年一〇月二日1622酒井忠勝の家臣等、埴科郡松城城番仙石忠政の家臣黒川兵庫等に、同城備付諸道具の目録を渡す、尋いで、兵庫等、之を真田信之の家臣矢沢頼幸等に渡す、494