div class="jh3"> 長野県立歴史館 信濃史料

「信濃史料」 巻二十四 (100頁~)


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天皇 年月日 西暦 記事
後水尾元和九年1623小県郡小牧村、本年年貢納帳を記す、111
後水尾寛永元年正月二日1624真田信之、成沢勘左衛門に知行を給す、120
後水尾寛永元年二月六日1624伊那郡遠山村の藤七郎等、惣百姓に請払勘定覚書を示す120
後水尾寛永元年二月一〇日1624伊那郡大草村鹿養の八右衛門等、直銭を出し香坂仁兵衛等より、田畑・山林を預かる、122
後水尾寛永元年二月二〇日1624千村良重の手代森庄兵衛等、市岡忠次・宮崎重次より榑木・板子を請取る、123
後水尾寛永元年二月二七日1624徳川忠長の家臣岩波道能等、佐久郡板橋の市丞に、旧の如く同郡野辺山原を開かしめ、年貢を免ず124
後水尾寛永元年三月一日1624信濃の人岩下守胤、上野藤岡に卒す、125
後水尾寛永元年三月一四日1624花井佐衛門等、遠江日明に於いて伊那榑木を売却せんとし、その値段を幕府奉行所に上申す、126
後水尾寛永元年1624伊那郡平沢藤右衛門慰等、牛馬売買のことを定む、127
後水尾寛永元年四月八日1624建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、織田長好の請により、その祖母平手氏織田長益夫人、の塔銘を製す、129
後水尾寛永元年四月一五日1624戸田康長、安曇・筑摩両郡のかわたをして、筑摩郡松本に移住せしむ、132
後水尾寛永元年四月二九日1624幕府、真田信之に、八月下旬に江戸に参府すべきを命ず、 信之、秀忠の中剃始のことを賀す、132
後水尾寛永元年五月二日1624脇坂安元の家臣井村五郎右衛門、伊那郡上飯田村の前年分年貢を皆済せるを証す、134
後水尾寛永元年五月八日1624脇坂安元、江戸にありて、伊那郡飯田の下津屋景信に書を送り、政務を指示す、135
後水尾寛永元年五月一二日1624諏訪頼満、頼水、領内衆庶の伊勢・熊野等諸山参詣の先達職を、先規の如く山城聖護院に属する者を充つべきを同門主に約す、137
後水尾寛永元年五月一四日1624小田中新右衛門等、小県郡田沢金原用水の番水を定む、138
後水尾寛永元年五月二二日1624名古屋城主徳川義利、義直、木曽山の巣鷹を徳川家光に献ず、139
後水尾寛永元年六月一〇日1624千村良重、伊那郡市岡忠次等より榑木を内借す、139
後水尾寛永元年六月二三日1624埴科郡松城町人等、諸山参詣の先達は同郡和合院を頼むべき旨を、松城奉行に約す、140
後水尾寛永元年七月五日1624越後高田城主松平仙千代光長、の家臣小栗五郎左衛門等、同国頸城郡信濃堺関田口留番所をして、同所通過の女人を取締らしむ、 仙千代光長、の家臣小栗五郎左衛門等、七左衛門の召仕女の、高井郡野沢の湯に赴かんとするにより、関田口留番所に同所の通過を依頼す、141
後水尾寛永元年七月一三日1624高井郡邑主福島正則、薨ず、幕府、その封を収め、季子正利に三千石を給す、141
後水尾寛永元年七月一七日1624脇坂安元の家臣冨郷五郎右衛門、伊那郡虎岩村の元和九年分年貢米を皆済せるを証す、146
後水尾寛永元年七月一七日1624孫五郎等、伊那郡虎岩村平沢新十郎より飯米を借用す、 伊那郡某、米を御師長衛門尉に渡す、147
後水尾寛永元年七月二七日1624茂右衛門、伊那郡上穂村年貢勘定書を勝右衛門等に指出す、148
後水尾寛永元年1624伊勢松坂の人下蔵小兵衛尉、九条袈裟を水内郡大安寺に寄進す、150
後水尾寛永元年八月九日1624幕府、美濃大垣城主松平忠良の遺子忠憲憲良、を、佐久郡小諸城に移す、是日、領知目録を渡す、150
後水尾寛永元年八月一一日1624真田信之、埴科郡阿弥陀堂に制札を掲ぐ、155
後水尾寛永元年八月一三日1624真田信之の家臣太田加右衛門等、埴科郡粟佐村肝煎石川伝内をして、同村新田闕落百姓跡に新百姓を入れしむ、156
後水尾寛永元年八月一七日1624安曇郡塩島村、元和九年分の年貢を皆済す、157
後水尾寛永元年八月一九日1624安曇郡東小谷村、元和九年分の年貢を皆済す、159
後水尾寛永元年八月二〇日1624幕府、甲斐甲府城主徳川忠長を駿河駿府城に移し、駿河・遠江・甲斐のほか信濃佐久郡の地をも領せしむ、161
後水尾寛永元年八月二七日1624戸田康長、安曇・筑摩両郡のかわたをして道路を改修せしむ、162
後水尾寛永元年九月九日1624佐久郡小平庄兵衛等、同郡小平の諏訪社を修覆す、163
後水尾寛永元年九月一五日1624真田信之、高井郡福島村の理右衛門の同村新田開発を賞し、代官となす、164
後水尾寛永元年九月一六日1624真田信之、海野宮内に知行を加給す、尋いで、鈴木兵衛等にも知行を給す、165
後水尾寛永元年九月一九日1624仙石忠政、小県郡東松本村の本年年貢高を定む、尋いで、同郡深井村等の本年年貢高を定む、166
後水尾寛永元年一〇月三日1624真田信之、家臣矢沢頼幸等に知行を給す、 真田信之、金井右衛門助に知行を給す、179