長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十四 (400頁~)
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後水尾
寛永三年九月一二日
1626
脇坂安元、駿府城の守衛を命ぜらる、
404
後水尾
寛永三年九月一八日
1626
仙石忠政、小県郡築地村の本年年貢高を定む、尋いで、領内諸村の本年年貢高を定む、
404
後水尾
寛永三年一〇月二日
1626
伊那郡矢沢次左衛門、別当田の定物成を書上ぐ、
412
後水尾
寛永三年一〇月七日
1626
幕府代官近山安俊等、高井郡西条新田村等に本年年貢を割付く、
413
後水尾
寛永三年一〇月一〇日
1626
佐久間安政、水内郡飯山真宗寺をして、屋敷分を安堵せしむ、
417
後水尾
寛永三年一〇月一六日
1626
神祗管領長上吉田兼英、高井郡間山村諏訪社祗官葦沢春久に、風折烏帽子・狩衣の着用を允可す、
417
後水尾
寛永三年一〇月二〇日
1626
真田信吉、蟻川久次郎に知行を給す、
418
後水尾
寛永三年一〇月二〇日
1626
幕府代官天羽景慶等、高井郡箕作村に本年年貢を割付く、
418
後水尾
寛永三年一〇月二一日
1626
神道管領長上吉田兼英、信濃の社家・祢宜に定書を頒つ、
420
後水尾
寛永三年一〇月二一日
1626
佐久間安政、水内郡飯山・水澤両村の境堺を定む、
420
後水尾
寛永三年一〇月二六日
1626
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
421
後水尾
寛永三年一〇月二六日
1626
松平忠憲、憲良、の家臣鶴田七右衛門等、佐久郡御馬寄村等の夫伝馬割を定む、
421
後水尾
寛永三年一〇月二七日
1626
松平忠憲、憲良、佐久郡御馬寄村の本年免相を定む、
423
後水尾
寛永三年
1626
山城建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、同院檀越長谷川守尚の請に応じて、法諱・道号を授け、道号の説を製す、
424
後水尾
寛永三年一一月二日
1626
塩沢八左衛門、伊那郡つくゑ原畑の年貢納高帳を同郡虎岩村平沢新十郎に指出す、
426
後水尾
寛永三年一一月二日
1626
三左衛門、伊那郡虎岩村平沢新十郎より畑を預かる、
427
後水尾
寛永三年一一月五日
1626
真田信之、その女見樹院、をして、埴科郡倉科村の地を知行せしむ、
427
後水尾
寛永三年一一月一八日
1626
脇坂安元の家臣今井九郎二郎、伊那郡虎岩村平沢新十郎より上げ漆を請取る、
428
後水尾
寛永三年一一月二〇日
1626
真田信之、太田加右衛門等に令し、領内の新田開発を励ましむ、
428
後水尾
寛永三年一一月二〇日
1626
真田信之、水内郡笹平村上・下両町に市立を許す、
429
後水尾
寛永三年一一月二五日
1626
井上庸名、伊那郡大草村香坂仁兵衛に、同村の本年年貢勘定目録を渡す
429
後水尾
寛永三年一一月二六日
1626
大夫等、伊那郡虎岩村の本年分の旱損つなぎ米割を記す、
431
後水尾
寛永三年
1626
岡部惣右衛門、安曇郡大町の勘左衛門に、居屋敷分の課役を免ず、
433
後水尾
寛永三年一二月三日
1626
幕府代官近山安俊、高井郡小田中村に本年年貢皆済目録を渡す、
434
後水尾
寛永三年一二月六日
1626
真田信吉、鈴木采女に、知行を加給す、 信吉、鈴木采女に知行を給す、
435
後水尾
寛永三年一二月一〇日
1626
徳川忠長、佐久郡本新町村の本年年貢高を定む、
436
後水尾
寛永三年一二月一一日
1626
真田信之、菅沼九兵衛に知行を給す、尋いで、高田多兵衛等に知行を給す、
437
後水尾
寛永三年一二月一五日
1626
徳川忠長、佐久郡内山村等の本年年貢高を定む、
439
後水尾
寛永三年一二月一九日
1626
海野久慶等、飯綱明神相伝の咒のことを記す、
440
後水尾
寛永三年一二月二六日
1626
井村五郎右衛門、伊那郡上飯田村の長蔵より、本年の明屋敷古おこし分年貢を請取る、
440
後水尾
寛永三年一二月二七日
1626
脇坂安元、旱損に依り、伊那郡虎岩村に年貢を減免す、是日、同村百姓等、請状を平沢新十郎等に指出す、
441
後水尾
寛永三年一二月二八日
1626
水内郡柏原の九右衛門、矢島庄右衛門等より金子を借用す、
442
後水尾
寛永三年一二月二九日
1626
保科正光の家臣日向兵左衛門、熊谷孫右衛門より、筑摩郡本洗馬村の本年年貢金を請取る、
442
後水尾
寛永三年
1626
松平忠憲、憲良、市川五郎兵衛に、佐久郡矢島原開発を許す、
443
後水尾
寛永三年
1626
仙石忠政の弟同久隆、幕府御使番となる、
444
後水尾
寛永三年
1626
山村良豊、徳川秀忠に参謁す、
445
後水尾
寛永三年
1626
安曇郡吉野村、本年の年貢及び小役の勘定目録を記す、 吉野村の寛永三年分小役銀及び小役目録
445
後水尾
寛永四年正月一日
1627
脇坂安元、歳首の和歌を詠じて林道春居羅山、に贈る、道春、詩二首を製して、之に答ふ、
454
後水尾
寛永四年正月二三日
1627
松本飯田町鍋屋伝左衛門、戸田康長より屋敷を給せられ、是日、礼銭を納む、
454
後水尾
寛永四年正月二三日
1627
松平忠憲、憲良、佐久郡御馬寄村等より馬を徴す、
455
後水尾
寛永四年正月二四日
1627
伊那郡大草村、同村の村高並びに同村里分の寺社領高を書上ぐ、
456
後水尾
寛永四年
1627
建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、林道春羅山、と歳首の詩を唱和す、
458
後水尾
寛永四年二月三日
1627
真田信之、大熊五郎左衛門の死を悼み、香料を同勘右衛門慰等に送る、尋いで、五郎左衛門子頓八をして、父の知行を安堵せしむ、
459
後水尾
寛永四年二月五日
1627
脇坂安元の家臣冨郷五郎右衛門、伊那郡虎岩村の平沢新十郎に、綿の代米を渡す、
460
後水尾
寛永四年二月一〇日
1627
新五郎・新八、筑摩郡青柳太兵衛より質形を以つて銀子を借用す、
460
後水尾
寛永四年二月一五日
1627
仏涅槃日、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
461
後水尾
寛永四年二月一七日
1627
安右衛門等、伊那郡虎岩村の平沢新十郎に、前年までの年貢算用等に異議なき旨の手形を出す、 安右衛門等の連判証文
462
後水尾
寛永四年二月二七日
1627
伊那郡大草村、同村香坂仁兵衛等の持高及び同村の草高・役高を記す、
464
後水尾
寛永四年二月二七日
1627
大夫等、伊那郡岩虎村の平沢新十郎より本年の種子米を借用す、
465
後水尾
寛永四年三月五日
1627
松平忠憲、憲良、佐久郡御馬寄村に諸役及び大名通行の際の夫馬を免除す、
467
後水尾
寛永四年三月一一日
1627
仙石忠政、疾に依り、摂津有馬温泉に赴かんとし、江戸を発す、
468
後水尾
寛永四年三月二三日
1627
筑摩郡千鹿頭社、同社御柱祭の入目を注す、
468
後水尾
寛永四年三月二四日
1627
伊那郡の樋口左近助等、同郡樋口村若宮八幡宮を造立す、
469
後水尾
寛永四年四月一日
1627
仙石忠政、小県郡深井村の本年年貢高を定む、
470
後水尾
寛永四年四月八日
1627
高井郡邑主河野氏勝、卒す、尋いで、同氏利、嗣ぐ、
472
後水尾
寛永四年四月八日
1627
仏誕生日、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
473
後水尾
寛永四年四月二三日
1627
前佐久郡貞祥寺住持、高井郡泉竜寺住持運芸、才庵、寂す、
474
後水尾
寛永四年四月二五日
1627
飯山城主佐久間安政、卒す、
474
後水尾
寛永四年五月七日
1627
真田信之、河原右衛門をして、同右京亮の跡式を嗣がしむ、 真田信之、同信勝の河原右京亮宛書状
475
後水尾
寛永四年五月二七日
1627
保科正光の家臣日向兵左衛門、熊谷孫右衛門をして、同九八郎に給分を渡さしむ、
476
後水尾
寛永四年
1627
建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、同寺正伝庵塔主元乗一宗、の頂相自賛の語を代作す、
477
後水尾
寛永四年六月四日
1627
信濃の人大井満雪、駿府に卒す、
478
後水尾
寛永四年六月二〇日
1627
真田信之、海野内匠に知行を加給す、
479
後水尾
寛永四年
1627
建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、山城頂法寺池坊専好の肖像に賛す、
480
後水尾
寛永四年七月九日
1627
佐久間勝之、大坂加番衆を命ぜられ、是日、赴任の暇を給はる、
482
後水尾
寛永四年七月一四日
1627
島崎作太夫等、千村良重より、榑木引当に金子を借用す、
482
後水尾
寛永四年
1627
山城建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、同寺普光院塔主の請に応じて、同寺西来院塔主元寅建中、の頂相に賛す、
482
後水尾
寛永四年八月五日
1627
松平忠憲、憲良、佐久郡某寺に同郡矢島原の地を寄進す、
484
後水尾
寛永四年八月五日
1627
真田信之、坂巻夕庵に知行の替地を与ふ、
485
後水尾
寛永四年八月一〇日
1627
是より先、松平忠直の家臣和田治左衛門、忠直の罪に座して真田信之に預けらる、是日、山城醍醐寺三宝院義演、その赦免のことを南禅寺金地院塔主崇伝以心、に依頼す、
485
後水尾
寛永四年八月一〇日
1627
二郎兵衛等、安曇郡小谷の主馬丞に、同郡東小谷村同人組前年の年貢勘定書を渡す、
487
後水尾
寛永四年八月一〇日
1627
木曽興禅寺・長福寺住持玄良、大雅、寂す、
489
後水尾
寛永四年八月一三日
1627
真田信之、大熊靭負に知行を給す、
490
後水尾
寛永四年八月二七日
1627
戸田康長、安曇郡堀金村の検地す、 戸田領内の筑摩郡惣社村検地帳 筑摩郡青柳町御桶帳
491