長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十四 (300頁~)
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後水尾
寛永二年一〇月一〇日
1625
松平忠憲、憲良、小県郡長窪新町の本年年貢高を定む、
300
後水尾
寛永二年一〇月一〇日
1625
幕府代官近山安俊等、高井郡小田中村等に本年年貢を割付く、
301
後水尾
寛永二年一〇月一五日
1625
幕府代官青木俊定等、高井郡箕作村に本年年貢を割付く、
309
後水尾
寛永二年一〇月二三日
1625
徳川家光、仙石忠政に領知朱印状を与ふ、
312
後水尾
寛永二年一一月九日
1625
平沢新十郎、伊那郡つくゑ原畑方年貢高を記す、
312
後水尾
寛永二年一一月一五日
1625
戸田康長、筑摩郡西福寺の寺を開くにより、寺地を寄進す、
314
後水尾
寛永二年一一月二四日
1625
冬至、山城建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、同寺住持中達九巌、に代りて、上堂説法す、
314
後水尾
寛永二年一一月二五日
1625
徳川忠長の家臣平岡吉道、佐久郡鎰懸村の本年年貢高を定む、
316
後水尾
寛永二年一二月一日
1625
仙石忠政、須見九郎右衛門等に知行を給す、
316
後水尾
寛永二年一二月二日
1625
真田信之、高井郡福島村横田理右衛門より前年納払方の金銀子を請取る、
318
後水尾
寛永二年一二月三日
1625
是より先、三河全久院住持淳碩、香山、安曇郡大沢寺に住す、是日、淳碩、寂す、
318
後水尾
寛永二年一二月六日
1625
真田信吉、老臣矢沢頼幸に書を送り病気を慰問す、尋いで、同信之も慰問す、
319
後水尾
寛永二年一二月六日
1625
幕府代官近山安俊の手代真田兵太夫、高井郡小田中村の本年年貢を皆済せるを証す、
320
後水尾
寛永二年一二月六日
1625
伊那郡虎岩村の大夫等、勘定書を記す、
321
後水尾
寛永二年一二月一一日
1625
真田信之、金井善兵衛をして、領内口留番衆のことを取締らしむ、
323
後水尾
寛永二年一二月一二日
1625
真田信之、坂巻夕庵に知行を加給す、
323
後水尾
寛永二年一二月一三日
1625
徳川忠長の家臣平岡吉道、佐久郡本新町村の本年の定納年貢高を通達す、
325
後水尾
寛永二年一二月一三日
1625
徳川忠長の家臣田中政長、佐久郡内山村の本年の定納年貢高を通達す、
325
後水尾
寛永二年一二月一三日
1625
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
326
後水尾
寛永二年一二月一六日
1625
真田信之、更級郡五明村境之宮をして、神領を安堵せしむ、
326
後水尾
寛永二年一二月二〇日
1625
万五郎、伊那郡虎岩村の平沢新十郎より蔵米を借用す、
327
後水尾
寛永二年
1625
飯山城主佐久間安政の子安長、従五位下に叙せられ、日向守に任ぜらる、
327
後水尾
寛永二年
1625
幕府、小笠原忠知を江戸城書院の番頭となす、
328
後水尾
寛永二年
1625
佐久郡正安寺住持雄的、応的、的外、同郡東光寺旧趾に大昌寺を開創す、
328
後水尾
寛永二年
1625
真田信之、伊勢豊受大神宮に祈祷料を寄進す、
329
後水尾
寛永二年
1625
筑摩郡保福寺住持曹賀、明堂、同郡広沢寺に遷住す、尋いで、良雪、陽南、保福寺住持となりて入院す、
329
後水尾
寛永三年正月二九日
1626
脇坂安元の家臣下津屋景信等、伊那郡浪合口留番所に、同郡大瀬木村の還住百姓等の、同所通過を依頼す、
330
後水尾
寛永三年二月六日
1626
幕府、仙石忠政の、居城を普請するに依り、忠政の将軍上洛供奉を免ず、
331
後水尾
寛永三年二月一一日
1626
伊那郡田切村、同村定物成帳を、脇坂飯田役所に指出す、
331
後水尾
寛永三年二月一三日
1626
水内郡戸隠の本大工中川杢右衛門、某社宮殿の造立を始む、
333
後水尾
寛永三年二月一五日
1626
仏涅槃日、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
333
後水尾
寛永三年二月一九日
1626
真田信之、老臣矢沢頼幸の病篤きにより、同外記をその跡式に定む、 矢沢頼幸に関する書状
335
後水尾
寛永三年二月二九日
1626
高井郡桜沢村、同郡雁田村の地に新堰を開鑿するに依り、雁田村に替地を渡し、また毎年堰免として米を支払ふべきを約す、
340
後水尾
寛永三年
1626
筑摩郡徳雲寺広呑、達磨小蔵之誰切紙を書す、
343
後水尾
寛永三年
1626
諏訪社下社、同社神領の高割及び物成を記す、
344
後水尾
寛永三年三月一〇日
1626
戸田康長の家臣斎藤某、安曇郡金熊の孫左衛門の、漆蝋を作るにより給米を与ふ、
348
後水尾
寛永三年三月一四日
1626
松平忠憲憲良、の家臣渡辺時、小県郡石合道定に、同人所有の庭木を求む、 石合十蔵宛の書状 松平忠憲良憲、の家臣渡辺時、佐久郡竜雲寺に地を寄進す、
349
後水尾
寛永三年三月一五日
1626
水内郡小柴見村、同村高帳を記す、
351
後水尾
寛永三年三月一九日
1626
是より先、佐久郡軽井沢宿問屋佐藤市右衛門、同六兵衛と駄送荷につき争論す、是日、両者和解す、
352
後水尾
寛永三年三月一九日
1626
脇坂安元の家臣冨郷五郎右衛門等、伊那郡虎岩村平沢新十郎より、綿・小使給・油荏・種借等の代米を請取る、
357
後水尾
寛永三年三月二九日
1626
伊那郡大島村問屋又左衛門等、同町伝馬衆に、駄賃に関する定書を示す、
358
後水尾
寛永三年四月四日
1626
建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、小川道会の七周忌仏事を同院に修す、
359
後水尾
寛永三年四月八日
1626
仏誕生日、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
362
後水尾
寛永三年四月一五日
1626
結制、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、尋いで、同寺秉払を執行し、林道春の従兄弟、同寺久昌院の徒紹佶、閑林、後板の位に拠つて秉払す、慈稽、再び上堂して、之を謝す、
363
後水尾
寛永三年四月一六日
1626
幕府、上田城主仙石忠政に城普請を許す、
367
後水尾
寛永三年四月一六日
1626
脇坂安元の家臣下津屋景信、伊那郡大島村問屋に令して、商人の駄賃荷物の付通しを禁ぜしむ、
368
後水尾
寛永三年四月一九日
1626
幕府、松平忠輝を飛騨金森重頼の許より諏訪頼水の許に移さんとし、頼水にその処遇を指示す、尋いで、忠輝、諏訪に着す、
369
後水尾
寛永三年四月二〇日
1626
甚右衛門等、伊那郡香坂仁兵衛より、榑木を引当てに蔵米を借用す、
372
後水尾
寛永三年四月二一日
1626
真田信之の家臣菅沼九兵衛、高井郡川田・福島両宿をして、駄荷取扱を折半せしむ、
373
後水尾
寛永三年四月二一日
1626
真田信吉、志津弥右衛門に知行を与ふ、
373
後水尾
寛永三年四月二八日
1626
勘七等、伊那郡虎岩村の平沢新十郎より蔵米を借用す、
374
後水尾
寛永三年
1626
信濃の人上野豊岡城主祢津吉直、卒す、
374
後水尾
寛永三年
1626
松平只次、伊那郡熊野三社権現社を造立す、
375
後水尾
寛永三年
1626
後水尾天皇、杜鵑の題を以つて詩文を五山衆に徴す、山城建仁寺住持慈稽、古澗、文を製して献呈す、
376
後水尾
寛永三年
1626
建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、門弟中達九巌、の請に応じて、頂相に自賛を加ふ、
378
後水尾
寛永三年閏四月九日
1626
是より先、伊那郡下寺村、同郡八手村と入会につき争論す、是日、両村、和解す、
378
後水尾
寛永三年閏四月一五日
1626
脇坂安元の家臣冨郷五郎右衛門、伊那郡虎岩村の前年分年貢米を皆済せるを証す、
379
後水尾
寛永三年閏四月一八日
1626
原田吉頼等、山村良勝の依頼に依り、木曽材木の搬出のことを沙汰す、
380
後水尾
寛永三年閏四月二三日
1626
諏訪頼水、矢島隼人に金子の請取手形を渡す、
381
後水尾
寛永三年五月五日
1626
仙石忠政、原五郎右衛門に上田城修築のことを指図す、
382
後水尾
寛永三年
1626
諏訪忠固等、島田主税助より馬術秘伝の伝授を受く、
385
後水尾
寛永三年六月一一日
1626
脇坂安元の家臣冨郷五郎右衛門等、伊那郡虎岩村平沢新十郎より、前年の花紙の代米を請取る、
386
後水尾
寛永三年六月一三日
1626
松平忠憲、憲良、佐久郡岩村田祇園社等に神事料を寄進す、 忠憲、岩村田若宮社に神事料を寄進す、
387
後水尾
寛永三年六月一四日
1626
戸田康長の家臣等、筑摩郡松本本町の銀師屋敷を飛騨浪人弥兵衛に与ふ、
388
後水尾
寛永三年六月一四日
1626
甚右衛門、諏訪社上社に鉄鎌を寄進す、
389
後水尾
寛永三年六月一九日
1626
井村五郎右衛門、伊那郡上飯田村の肝煎長蔵より、明屋敷古おこしの寛永二年分年貢を請取る、
389
後水尾
寛永三年七月六日
1626
小森久右衛門、伊那郡虎岩村より、幕府用材元切扶持米の余分を請取る、
390
後水尾
寛永三年七月一二日
1626
真田信之の家臣太田加右衛門等、海野宮内をして、料所水内郡中条村等より、夫伝馬役銀を請取らしむ、
390
後水尾
寛永三年七月一四日
1626
是より先、真田信之、上洛随従の士に金子を借す、是日、信之、成沢勘兵衛等に、当秋中に返済すべきを命ず、 本多忠政、真田信吉に、その父信之の病状を問ふ、
391
後水尾
寛永三年七月一五日
1626
真田信之、成沢助右衛門をして、父勘左衛門の知行を安堵せしむ、
393
後水尾
寛永三年七月二〇日
1626
諏訪忠恒、従五位下に叙せられ、出雲守に任ぜらる、
394
後水尾
寛永三年
1626
脇坂安元、伊那郡竜翔寺に禁制を掲ぐ、
394
後水尾
寛永三年
1626
佐久郡宮本村の折右衛門等、同郡阿江木村新海三社明神に灯明料を寄進す、
395
後水尾
寛永三年八月六日
1626
飯田城主脇坂安元の父安治、卒す、
395
後水尾
寛永三年八月八日
1626
脇坂安元の家臣真鍋次右衛門、伊那郡片切村の年貢并に綿の納高覚を山村九郎右衛門に示す、
396
後水尾
寛永三年八月一九日
1626
戸田康長、従四位に叙せらる、
398
後水尾
寛永三年
1626
脇坂安元、伊那郡飯田の白山権現社宝殿を再興す、
398
後水尾
寛永三年九月六日
1626
後水尾天皇、二条城に行幸す、真田信之等、警固を勤め、真田信吉等、出迎の徳川家光に扈従す、
399