長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十五 (1頁~)
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後水尾
寛永五年一〇月二日
1628
上田城主仙石政俊、小県郡東上田村の本年年貢を定む、尋いで、同郡手塚村等領内諸村の本年年貢高を定む、
1
後水尾
寛永五年一〇月二日
1628
文舜、堯国、小県郡安楽寺住持某に山居の法語を書し与ふ、
7
後水尾
寛永五年一〇月五日
1628
幕府代官天羽景慶等、高井郡箕作村に本年年貢を割付く、
8
後水尾
寛永五年一〇月一一日
1628
関三刹の一たる下総総寧寺住持良尊、勝国、埴科郡長国寺を、信濃国僧録とす、
10
後水尾
寛永五年一〇月一六日
1628
高井郡八町村の孫右衛門、塩町宇右衛門等より金子を借用す、 塩野宇右衛門、須坂へ移転す、
10
後水尾
寛永五年一〇月二〇日
1628
是より先、筑摩郡青柳村百姓新七郎等、連判を以つて、同村肝煎作右衛門を改替し、理右衛門を充てんことを代官衆に訴ふ、是日、代官衆、之を仲裁し、理右衛門・作右衛門を共に肝煎となし、百姓をそれぞれ両人に属せしむ、
12
後水尾
寛永五年一一月二日
1628
水内郡苦桃村の庄三郎、庄右衛門等より金子を借用す、
14
後水尾
寛永五年一一月七日
1628
佐久郡伴野庄の住民等、契状を以つて紀伊高野山成慶院の檀那となる、
14
後水尾
寛永五年一一月一〇日
1628
高島城主諏訪頼水、山城南禅寺金地院塔主崇伝以心、を同城に招かんとし、書を送る、
18
後水尾
寛永五年一一月一三日
1628
伊那郡大草村、寛永四年の年貢払高を書上ぐ、 九右衛門等、伊那郡大島の内、名古・新井両村の勘定書を書上ぐ、
18
後水尾
寛永五年一一月一七日
1628
木曽山村良勝の家中菅野三右衛門等、木曽王滝村に、元和五年より寛永四年までの土井・下用米等の算用を定む、
22
後水尾
寛永五年一一月一九日
1628
飯田城主脇坂安元の家臣国木田清大夫、伊那郡虎岩村より、漆年貢を請取る、尋いで、また請取る、
23
後水尾
寛永五年一一月二二日
1628
高井郡邑主小笠原忠知、同郡亀倉村の本年免相を定む、
23
後水尾
寛永五年一一月二八日
1628
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
25
後水尾
寛永五年一二月三日
1628
高遠城主保科正光の家臣日向兵左衛門、筑摩郡熊谷孫右衛門より、同郡本洗馬の本年年貢金を請取る、尋いで、また請取る、
26
後水尾
寛永五年一二月六日
1628
徳川忠長の家臣石原正種、佐久郡本新町村の本年年貢高を定む、
27
後水尾
寛永五年一二月八日
1628
松城城主真田信之、沢尾小左衛門に知行を給す、
28
後水尾
寛永五年一二月八日
1628
仏成道日、山城建仁寺住持慈稽、古潤、上堂説法す、
29
後水尾
寛永五年一二月一〇日
1628
徳川忠長の家臣田中政重、佐久郡宿岩村等の本年年貢高を定む、
30
後水尾
寛永五年一二月一一日
1628
真田信之、出浦織部に知行を給す、
31
後水尾
寛永五年一二月一五日
1628
徳川忠長の家臣田中政重、佐久郡井出次久より、本年分蔵籾を請取る、
32
後水尾
寛永五年一二月一七日
1628
佐久郡高野町村、同村百姓等の本年定納高を記す、 高野町村下組名寄帳
32
後水尾
寛永五年一二月三〇日
1628
真田信之、大和三弥に知行を給す、
40
後水尾
寛永五年一二月三〇日
1628
常信庵、伊那郡虎岩村平沢新十郎より、勘七郎未進分の人質を預る、
41
後水尾
寛永五年
1628
山城建仁寺大統院塔主慈稽、古潤、同国曼珠院門主良恕法親王の請に応じて、同法親王伝持の綿瓜硯の鋭を製す、
41
後水尾
寛永五年
1628
幕府、佐久間安長をして、父安政の遺領を嗣がしめ、飯山城主となす、
44
後水尾
寛永五年
1628
仙石政俊、従五位下に叙せられ、越前守に任ぜらる、
45
後水尾
寛永五年
1628
幕府代官近山安俊等、福島正則の旧領高井郡西条新田村等に、本年年貢を割付く、
45
後水尾
寛永六年正月一日
1629
歳旦、山城建仁寺住持慈稽、古潤、上堂説法す、
53
後水尾
寛永六年正月三日
1629
幕府、真田信之等諸大名に、江戸城惣外曲輪・御堀石垣の普請手伝を命ず、
55
後水尾
寛永六年正月二六日
1629
徳川忠長の家臣両角市兵衛、佐久郡井出次久より、五万石山役金を請取る、
56
後水尾
寛永六年二月一日
1629
松本城主戸田康長、筑摩郡保福寺宿等領内問屋に、領外附出しの駄荷等の貫目改を命ず、
60
後水尾
寛永六年二月四日
1629
神道管領長上吉田兼英、高井郡夜間瀬村諏訪社祠官堀篭長安に、風折鳥帽子・狩衣の着用を允可す、
60
後水尾
寛永六年二月八日
1629
是より先、名古屋城主徳川義直義利、の家臣原田忠政、江戸城御台所作事用大材を密かに木曽山に採り、江戸に於いて転売せしこと露顕す、是日、義直、忠政父子に切腹を命ず、
61
後水尾
寛永六年二月二三日
1629
脇坂安元、伊那郡浪合口留番所に、大和に赴かんとする家中下女の、同所通過を依頼す、
62
後水尾
寛永六年二月二七日
1629
是より先、筑摩郡青柳町の善助、同町の源助と相論す、是日、青柳太兵衛等の仲裁に依り、両人和解す、
62
後水尾
寛永六年
1629
幕府、脇坂安元等信濃の諸大名に命じ、木曽山の幕府用材伐出人足を出さしむ、
63
後水尾
寛永六年閏二月一八日
1629
長沼城主佐久間勝之、山城南禅寺に石灯篭を寄進す、
68
後水尾
寛永六年閏二月二一日
1629
伊那郡虎岩村、是日より種子籾の貸出しを始む、 虎岩村の本年貢算用帳
69
後水尾
寛永六年閏二月二四日
1629
佐久郡の市之助、同郡井出次久等より金子を借用す、
73
後水尾
寛永六年三月三日
1629
神道管領長上吉田兼英、高井郡若宮八幡宮祠官伝田家次に、風折鳥帽子・狩衣の着用を允可す、
75
後水尾
寛永六年三月五日
1629
伊那郡虎岩村、本年の榑木おとし木流し方の扶持米を又六等に決済す、
76
後水尾
寛永六年三月一一日
1629
千村重利、伊那郡小野村の元和二年より寛永四年まで十二ヶ年分の年貢を決済す、
78
後水尾
寛永六年三月一六日
1629
松本城主戸田康長の長子同忠光、卒す、
79
後水尾
寛永六年三月一六日
1629
山村良勝、寛永五年後半分の木曽福島関所手形を幕府留守居日下部宗好等に差出す、
80
後水尾
寛永六年三月二八日
1629
真田信之、市場太郎左衛門に足軽を預く、
81
後水尾
寛永六年四月七日
1629
徳川忠長の家臣田中政重、佐久郡井出次久より、蔵籾売付金を請取る、
81
後水尾
寛永六年四月一六日
1629
山城本願寺宣如、光従、水内郡平出願生寺住持永尊所持の親鸞聖人縁起に裏書を加ふ、 平出願生寺の阿弥陀如来画像裏書
82
後水尾
寛永六年四月一九日
1629
是より先、桂宮智仁親王薨ず、是日、葬礼仏事を勤修し、建仁寺大統院塔主慈稽、古潤、薨龕仏事を勤む、 慈稽、古潤、智忠親王の御父智仁親王を追悼するの御歌の末字を取りて句尾に附し、追悼の偈を製す、
82
後水尾
寛永六年四月二六日
1629
脇坂安元の家臣井村五郎右衛門、伊那郡上飯田村の明屋敷古起し出来分の前年年貢を皆済せるを証す、
85
後水尾
寛永六年四月二九日
1629
伊那郡虎岩村某等、千村良重に、幕府用材流出分を隠匿せざる旨を誓ふ、
86
後水尾
寛永六年四月二九日
1629
是より先、播磨明石城主小笠原忠政、木曽福島関山村良勝に、藤江次郎右衛門妻子の同所通過を依頼す、是日、良勝、次郎右衛門の妻子を松本より出ださざるを忠政に報ず、
87
後水尾
寛永六年
1629
山村良勝、幕府留守居日下部宗好等の木曽福島関女改手形についての指示に答報す、
88
後水尾
寛永六年六月九日
1629
山村良勝の家中磯野六右衛門、木曽黒沢の寛永三年川流地を記す、
88
後水尾
寛永六年六月一三日
1629
徳川忠長の家臣田中政重、佐久郡井出次久より蔵籾売付金を請取る、
91
後水尾
寛永六年六月一六日
1629
佐久郡臼田の甚十郎等、同郡井出次久より、蔵籾の払下げを受く、
91
後水尾
寛永六年六月一六日
1629
伊那郡川田村の小平次、同村田地・地下人を旧の如く支配せんことを脇坂安元の家臣本庄瀬兵衛等に請ふ、
92
後水尾
寛永六年
1629
佐久郡藤沢村八右衛門、松平忠憲憲良、に、検地に際し同村駒形宮・頼洞寺の除地を、前々の如く指置かれんことを請ふ、
93
後水尾
寛永六年七月二日
1629
佐久郡正安寺住持雄的、応的、的外、寂す、
94
後水尾
寛永六年七月六日
1629
山野某、佐久郡井出次久より金子を請取る、
95
後水尾
寛永六年七月一八日
1629
小諸城主松平忠憲、憲良、佐久郡岩村田祇園社に神事料を寄進す、
95
後水尾
寛永六年七月一九日
1629
脇坂安元の家臣井村五郎右衛門、伊那郡上飯田村の長蔵より、同村前年分の蔵出米を請取る、
96
後水尾
寛永六年七月二一日
1629
脇坂安元の家臣井村五郎右衛門、伊那郡上飯田村長蔵より、同村前年分の綿代米を請取る、
96
後水尾
寛永六年
1629
木曽福島関、本年前半分の同関手形を幕府留守居日下部宗好等に差出す、
97
後水尾
寛永六年八月一一日
1629
徳川忠長の家臣田中政重、佐久郡井出次久より、前年分の蔵籾売付金を請取る、
97
後水尾
寛永六年八月一二日
1629
脇坂安元の家臣脇坂内膳、伊那郡虎岩村の前年分年貢を皆済せるを証す、
98
後水尾
寛永六年八月一三日
1629
総持寺五院、曹洞宗門下法度を製し、埴科郡松城長国寺にも之を頒布す、
98