長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十五 (600頁~)
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明正
寛永九年四月四日
1632
備中松山城主池田長幸の病篤く、親戚等、後嗣を議するに依り、長幸の弟同長頼、脇坂安元の養嗣子同安経を殺し、弟同安信を傷く、尋いで、安信、所領を没せらる、
601
明正
寛永九年四月一二日
1632
水内郡飯山城主佐久間安長、江戸に卒し、子同安次、嗣ぐ、
607
明正
寛永九年四月二九日
1632
是より先、佐久郡岩村田大井法華堂源栄、同郡住吉社神長と、窂人の檀那の所属につき争論す、是日、同郡岩村田町中の年寄等、之を仲裁し、之を折半せしむ、
610
明正
寛永九年
1632
徳川家光、下野日光山東照社に社参す、仙石政俊、数寄屋橋御門の守衛を勤む、
611
明正
寛永九年
1632
下野日光山東照社社参の勅使公家衆、木曽路を通過す、
611
明正
寛永九年五月四日
1632
信濃の人真田信昌、信尹、江戸に卒し、子同幸政、嗣ぐ、
612
明正
寛永九年六月六日
1632
脇坂安元の家臣真鍋次左衛門、庄九郎より下舘在番の夫銭を請取る、
614
明正
寛永九年六月九日
1632
佐久間勝之、大坂加番を命ぜらる、
615
明正
寛永九年六月一〇日
1632
真田信之の家臣矢沢頼邦、卒す、
615
明正
寛永九年六月二一日
1632
伊那郡虎岩村勝九郎、本年分上げ綿を納む、尋いで同村吉十郎等も納む、
616
明正
寛永九年七月一四日
1632
幕府、公家衆・門跡衆の将軍代替の参賀に当り、真田信之・同信吉・脇坂安元等に接待役を命ず、
617
明正
寛永九年七月二三日
1632
伊那郡虎岩村、是より本年年貢の納払手形覚を記す、
618
明正
寛永九年七月二四日
1632
仙石政俊、徳川秀忠の霊廟に石灯籠を寄進す、
621
明正
寛永九年七月二四日
1632
延暦寺三院執行探題天海、南光坊、伊那郡光前寺に法度を頒つ、
622
明正
寛永九年七月二六日
1632
脇坂安元の家臣松原秀政、伊那郡上飯田村の前年分年貢米の皆済を証す、
622
明正
寛永九年八月一五日
1632
堀直升、高井郡小山村八幡社に社領を寄進す、
623
明正
寛永九年八月二一日
1632
筑摩郡の長吉、同郡の長左衛門より、質形を以つて金子を借用す、
624
明正
寛永九年八月二八日
1632
堀直升、大坂加番役を果し、江戸に帰る、
624
明正
寛永九年九月二四日
1632
諏訪頼水の家臣三輪知友、筑摩郡和泉村に、寛永七年分の年貢納払目録を渡す、
625
明正
寛永九年九月二九日
1632
伊那郡虎岩村、奈良市太夫に鳥黐を納む、
626
明正
寛永九年
1632
佐久郡入布施村熊野社の造立、成る、
627
明正
寛永九年一〇月二日
1632
徳川家光、医師玄琢を松本に遣はし、戸田康長の疾を見舞はしむ、
629
明正
寛永九年一〇月三日
1632
仙石政俊、小県郡手塚村の本年年貢高を定む、尋いで、同郡東上田村等領内諸村の本年年貢高を定む、 仙石政俊、更級郡塩崎村の本年年貢高を定む、
630
明正
寛永九年一〇月六日
1632
某、佐久郡相木組の本年残俵目録を記す、
638
明正
寛永九年一〇月八日
1632
諏訪郡某村肝煎拾左衛門、同村の年貢勘定書を指出す、 喜左衛門等、某の年貢納高を書上ぐ、
639
明正
寛永九年一〇月一二日
1632
幕府、駿河駿府城主徳川忠長家光弟、の狂疾あるに依り、その封を収め、上野高崎城に幽す、佐久郡二万五千石の封、この内にあり、
641
明正
寛永九年一一月一日
1632
松平忠憲、憲良、佐久郡桑山村の本年免相を定む、
642
明正
寛永九年一一月二日
1632
佐久間安次、水内郡西厳寺をして、同寺掛所屋敷を安堵せしむ、尋いで、同郡英岩寺・大聖寺をして、寺領を安堵せしむ、
643
明正
寛永九年一一月二日
1632
幕府代官天羽景慶等、高井郡牧村等に本年年貢を割付く、
645
明正
寛永九年一一月四日
1632
延暦寺三院執行探題天海、南光坊、伊那郡箕輪の中禅寺に法度を頒つ、
654
明正
寛永九年一一月六日
1632
幕府代官松下勘左衛門、高井郡小田中村等に本年年貢を割付く、
655
明正
寛永九年一一月六日
1632
筑摩郡青柳村の市蔵、同村太兵衛より金子を借用するに依り、助十郎等、請人に立つ、
659
明正
寛永九年一一月一〇日
1632
佐久間安次、水内郡八幡社祝子某伊予をして、同郡飯山八幡社領等を安堵せしむ、 佐久間氏、飯山愛宕山別当職を郭伝房に渡す、
659
明正
寛永九年一一月一四日
1632
木曽長福寺住持玄智、機関、寂す、
661
明正
寛永九年一一月一五日
1632
塩沢八左衛門、伊那郡虎岩村平沢新十郎に、同郡つくゑ原畑の本年年貢納入方を催促す、
662
明正
寛永九年一一月一九日
1632
佐久間勝之の孫同勝盛、徳川家光に初めて目見えす、
664
明正
寛永九年
1632
松平忠利、忠節、小県郡金井村の本年免相を定む、
664