長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十五 (300頁~)
1頁~
100頁~
200頁~
300頁~
400頁~
500頁~
600頁~
「信濃史料」巻別収録年代に戻る
・ 綱文(記事)をクリックすると、綱文とその出典を掲載した画面が表示されます。
天皇
年月日
西暦
記事
頁
明正
寛永七年正月三〇日
1630
諏訪郡下諏訪村の甚蔵、尾張津島社の檀那となり、社参す、
303
明正
寛永七年二月八日
1630
山村良豊、幕府老衆に賀歳し、枝柿を贈る、
304
明正
寛永七年二月一〇日
1630
山村智積院日誉、諏訪郡仏法寺憲能房の修学成就を証し、在国中の不断法談執行を命ず、
304
明正
寛永七年二月一四日
1630
常信庵、伊那郡虎岩村平沢新十郎より、預米の返却を受く、
305
明正
寛永七年二月一五日
1630
仏涅槃日、山城建仁寺住持慈稽、古潤、上堂説法す、
306
明正
寛永七年二月一七日
1630
徳川忠長の家臣田中政重、佐久郡井出次久より、弥右衛門等の未納金を請取る、
307
明正
寛永七年二月一七日
1630
埴科郡西条村清野げんさい、尾張津島社に銀子を納む、また、伊那郡小沢の平右衛門等、同社に参詣す、
307
明正
寛永七年二月二三日
1630
僧宗雪、嶺室、佐久郡城光院英点雪堂、に嗣法す、
308
明正
寛永七年二月二五日
1630
高力忠房、義弟真田信政と、稲垣重綱女の婚儀につき、吉日を山城南禅寺金地院塔主崇伝以心、に尋ぬ、尋いで、崇伝、之に答ふ、
309
明正
寛永七年
1630
筑摩郡広沢寺住持黙巌、佐久郡正眼院に移り、天波、瀾谷、広沢寺住持となる、
310
明正
寛永七年三月五日
1630
諏訪忠恒、徳川家光の武蔵川越に病むに依り、之を見舞ふ、
311
明正
寛永七年三月八日
1630
徳川忠長の家臣田中政重、佐久郡井出次久より、前年の山役金を請取る、
312
明正
寛永七年四月二日
1630
是より先、武蔵池上本門寺日樹、不受不施の義を主張し、甲斐身延久遠寺日暹と法論を行ふ、是日、幕府、之を裁し、日樹を伊那郡飯田に配流す、
313
明正
寛永七年四月八日
1630
仏誕生日、山城建仁寺住持慈稽、古潤、上堂説法す、
319
明正
寛永七年四月一〇日
1630
山村良豊の家中小野惣左衛門、木曽王滝村より、薪代金を請取る、
320
明正
寛永七年四月一八日
1630
信濃の人中沢久次、卒す、
320
明正
寛永七年
1630
小県郡邑主松平忠利、忠節、同郡の采地和田村等を検地す、 松平忠利采地内諸村の検地帳
321
明正
寛永七年五月二日
1630
保科正光、下女を京都より伊那郡高遠に召さんとし、京都所司代板倉重宗関所手形の入手斡旋を戸田康長に依頼す、尋いで重宗、之を発す、
334
明正
寛永七年五月四日
1630
徳川忠長の家臣田中政重、佐久郡井出次久より、前年分の蔵米売付金を請取る、 田中政重等、井出次久より蔵米売付金を請取る、
335
明正
寛永七年五月五日
1630
山村良候の子同一成、卒す、
339
明正
寛永七年五月二三日
1630
名古屋城主徳川義直、山城南禅寺金地院塔主崇伝以心、の所労を見舞ひ、木曽氷餅を贈る、尋いで、義直の老臣成瀬正虎、崇伝に木曽氷餅を贈る、
340
明正
寛永七年六月四日
1630
佐久郡宮下甚十郎等、たつこ母子を身請し、その代人としてたつ母子を岩波道能手代箕輪九右衛門等に渡す、
340
明正
寛永七年六月一三日
1630
徳川忠長の家臣田中政重、佐久郡井出次久より寛永五年の年貢籾を請取る、尋いで、蔵米残高を記す、
341
明正
寛永七年六月二四日
1630
保科正光の養子同正之、徳川家光に初めて目見えを許さる、
345
明正
寛永七年
1630
戸田康長・保科正光・諏訪頼水、帰国の暇を賜はる、
349
明正
寛永七年七月一二日
1630
高井郡邑主堀直升の家臣東方五郎右衛門等、高井郡綿内村百姓より夫銀を請取る、東方五郎右衛門の堀内内蔵助宛書状
350
明正
寛永七年七月二六日
1630
諏訪頼水、帰国せんとし、旨を山城南禅寺金地院塔主崇伝以心、に報ず、
351
明正
寛永七年七月三〇日
1630
幕府、諏訪頼郷を小姓頭に任ず、
351
明正
寛永七年八月四日
1630
小笠原忠知、幕府大番頭となる、
352
明正
寛永七年八月一六日
1630
信濃駒牽、
352
明正
寛永七年八月二二日
1630
伊那郡虎岩村、脇坂安元の家臣脇坂内膳に、前年の年貢米を皆済す、
353
明正
寛永七年八月二八日
1630
越前福井城主松平忠昌の老臣本多富正等、米倉勘右衛門妻子等の、越前より伊那郡飯田に赴かんとするにつき、木曽妻篭口留番所に、その通過を依頼す、
353
明正
寛永七年九月一三日
1630
戸田康長の家臣関七郎左衛門等、安曇郡成相新田に、同郡堀金村・柏原村の野に於いて柴草を苅るを許す、
355
明正
寛永七年九月二二日
1630
千村良重、卒す、
355
明正
寛永七年九月二三日
1630
仙石政俊、小県郡小牧村の本年年貢高を定む、尋いで、同郡築地村等領内諸村の本年年貢高を定む、
359
明正
寛永七年九月二三日
1630
諏訪頼水の家臣三輪知友、筑摩郡和泉村に、前年の年貢納払目録を渡す、
367
明正
寛永七年九月二八日
1630
水内郡長沼城主佐久間勝之の子同勝年、卒す、
368
明正
寛永七年一〇月一日
1630
是より先、間中郷右衛門、罪に依り上田城主仙石政俊に預けらる、是日、郷右衛門、上田に於いて卒す、
370
明正
寛永七年一〇月一日
1630
神道管領長上吉田兼英、水内郡竹生八幡宮祠官高山伊勢守に、風折鳥帽子・狩衣の着用を允可す、
370
明正
寛永七年一〇月三日
1630
諏訪頼水の家臣三輪知友、筑摩郡神田村に、前年の年貢納払目録を渡す、
371
明正
寛永七年一〇月四日
1630
幕府代官近山安俊等、高井郡西条新田村等に本年年貢を割付く、
373
明正
寛永七年一〇月八日
1630
松平忠憲憲良、の家臣渡辺時等、佐久郡望月・八幡町組に伝馬駄賃銭を割付く、
376
明正
寛永七年一〇月九日
1630
佐久郡井出次久、同郡臼田村等に、前年年貢勘定目録を渡す、
377
明正
寛永七年一〇月一〇日
1630
徳川忠長の家臣田中政重、佐久郡井出次久より、弥右衛門等の未進金等を請取る、
379
明正
寛永七年一〇月二五日
1630
小笠原忠知,高井郡牧村等領内諸村を検地す、 小笠原忠知領内の高井郡塩野村等の検地帳
381
明正
寛永七年一一月三日
1630
幕府代官天羽景慶等、高井郡箕作村に本年年貢を割付く、
396
明正
寛永七年一一月五日
1630
小笠原忠知領高井郡牧村の名寄帳、成る、
398