長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十五 (200頁~)
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後水尾
寛永六年八月一七日
1629
徳川忠長、佐久郡八郡村を検地せんとす、同村案内人勘左衛門等、忠長の家臣岩波道能手代等に誓状を指出す、
219
後水尾
寛永六年
1629
フランシスコ曽神父ディエゴ・デ・サン・フランシスコ、奥州の布教を終へ、中山道を経て、上方に向ふ、
220
後水尾
寛永六年九月二日
1629
徳川忠長の家臣田中政重、佐久郡井出次久より、寛永五年の山手金及び同三・四年の弥右衛門等未進金を請取る、
222
後水尾
寛永六年九月三日
1629
幕府代官設楽能業等、筑摩郡殿野入村等を検地す、 清左衛門竿請帳
223
後水尾
寛永六年九月一〇日
1629
徳川忠長の家臣石原正種、佐久郡岩下村勘右衛門等をして、同郡春日村の荒地を開発せしむ、
240
後水尾
寛永六年九月一〇日
1629
善光寺、炎上す、
241
後水尾
寛永六年九月二一日
1629
仙石政俊、小県郡築地村の本年年貢高を定む、尋いで、同郡諏訪部村等領内諸村の本年年貢高を定む、
241
後水尾
寛永六年九月二三日
1629
諏訪頼水の家臣三輪知友、筑摩郡神田村に前年の年貢納払皆済目録を渡す、
250
後水尾
寛永六年一〇月一〇日
1629
幕府代官天羽普慶等、高井郡箕作村に、本年年貢を割付く、
252
後水尾
寛永六年一〇月一五日
1629
徳川忠長、佐久郡新海三社神領の検地を免ず、是日、忠長の家臣岩波道能、その旨を同社祢宜山宮内匠に告ぐ、 岩波道能等の新海三社祢宜宛の書状
254
後水尾
寛永六年一〇月一五日
1629
小県郡安楽寺京誉、同寺の校割帳を記す、
255
後水尾
寛永六年一〇月一七日
1629
諏訪頼水の子同忠恒、山城南禅寺金地院塔主崇伝以心、に物を贈る、
257
後水尾
寛永六年一一月五日
1629
松平忠憲、慶良、佐久郡牧布施村新田の本年年貢高を定む、尋いで、同郡桑山村の本年年貢高を定む、
257
明正
寛永六年一一月九日
1629
木曽大水により、幕府上納の榑・土居等、流失す、山村良勝、その救済のため上米の借用、若しくは材木進納の延期を幕府に歎願す、
260
明正
寛永六年一一月一〇日
1629
徳川忠長の家臣田中政重、佐久郡井出次久より、本年の未進金及び前年の蔵籾売付金を請取る、
265
明正
寛永六年一一月一二日
1629
保科正光、筑摩郡竜正寺分の地を福寿院に寄進す、
266
明正
寛永六年一一月一九日
1629
真田信之、江戸より帰国せんとし、旨を出浦半平に告げ、領内の仕置を厳にせしむ、
266
明正
寛永六年一一月二〇日
1629
堀直升領内高井郡高梨村の名寄帳、成る、 堀直升領内の名寄帳
267
明正
寛永六年一一月三〇日
1629
是より先、真田信政、その召使の女の上方に帰国するにより、木曽福島関通過を山村良勝に依頼す、是日、良勝、手形の不備により勘過し難きを答報す、
270
明正
寛永六年
1629
佐久郡本間川村熊野権現社殿、成る、
270
明正
寛永六年一二月一日
1629
松城領郡奉行原主米等、諸払納物の代金を真田信之に納む、
271
明正
寛永六年一二月四日
1629
幕府代官近山安俊等、高井郡西条新田村等に本年年貢を割付く、
272
明正
寛永六年一二月四日
1629
脇坂安元の家臣松原秀政、伊那郡下殿岡村の与右衛門より、本年年貢を請取る、
276
明正
寛永六年一二月七日
1629
徳川忠長、佐久郡本新町村の本年年貢高を定む、尋いで、同郡高野町村等領内諸村の本年年貢高を定む、
276
明正
寛永六年一二月九日
1629
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
284
明正
寛永六年一二月一五日
1629
徳川忠長の家臣田中政重、佐久郡井出次久より蔵籾代金を請取る、
285
明正
寛永六年一二月一八日
1629
徳川忠長の家臣田中政重、佐久郡井出次久をして、同郡高野町村庄左衛門等に金子・給米等を渡さしむ、
285
明正
寛永六年一二月一八日
1629
山村良勝、杉田忠次等に、上米借用を許されしを謝す、
286
明正
寛永六年一二月二一日
1629
佐久郡大深山村の作之丞等、同郡井出次久より、蔵米を借用す、
288
明正
寛永六年一二月二三日
1629
徳川忠長の家臣杉原直信、佐久郡本新町村の善左衛門等より本年年貢米を請取る、
288
明正
寛永六年一二月二三日
1629
徳川忠長の家臣両角市兵衛、佐久郡井出次久より、山役金を請取る、
289
明正
寛永六年一二月二五日
1629
脇坂安元の家臣井村五郎右衛門、伊那郡上飯田村の長蔵の、明屋敷古起し、出来分の年貢を皆済せるを証す、
289
明正
寛永六年一二月二七日
1629
幕府代官近山安俊、高井郡小田中村に、本年年貢請取状を渡す、
290
明正
寛永六年
1629
山村良勝、致仕し、子同良豊、家督を嗣ぐ、 山村良勝の書状
291
明正
寛永六年
1629
佐久郡新海三社神宮寺塔の修理、成る、
293
明正
寛永六年
1629
大竜、虎谷、佐久郡正安寺住持となる、
295
明正
寛永七年正月一一日
1630
佐久郡臼田村、寛永五年分の蔵米納払目録を記す、
296
明正
寛永七年正月二〇日
1630
関三刹の一たる下総総寧寺、埴科郡長国寺に法度を下す、
299