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(一五八)曾呂利新左衞門

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 曾呂利新左衞門は杉本甚右衞門、或は彦右衞門に作る。(茶人系傳全集)和泉大鳥郡の人、後堺南莊に徙り、目口町に住し、淨土宗の寺内を借つて、鞘師となつた。【曾呂利の稱】曾呂利と稱するのは、製作巧妙、鞘口ソロリと能く合ふを以て、名を得たといはれてゐる。(堺鑑下)香技を志野宗心に受け、又茶湯千利休に學んだ。或は紹鷗の門下とも云はれて居る。(茶人系傳全集)【秀吉の寵遇】人と爲り慧敏で機才に富み、和歌を能くし、豐臣秀吉に寵遇せられた。多年秀吉に近侍し、每に滑稽戲謔を以て人の意表に出で、腮を解いた。滑稽、機智、戲謔の夥しい逸話は皇都午睡、牛馬問、半日閑話、提醒紀談、甲子夜話、理齋隨筆、閑窓瑣談等各種の文獻に載せられ、頗る一般に流布せられた。歿年世壽は明かでないが、一説に慶長八年九月二十二日歿したと見える。(名人忌辰錄)【邸址】又市之町東三丁字北上の町二十五番地は卽ち其邸址だと云はれてゐる。