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(五〇)日現

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 【堺人】日現字は惠俊、龍雲院と號し、天正十二年堺に生れた。妙國寺第二世日統の甥である。【妙國寺五世】【堂宇再興】同寺第五世となり、元和兵燼の後復興に力め、本堂及び庫裡を再建した。【寺領復舊】元和三年將軍德川秀忠伏見入城に際し往復數囘、舊寺領を復せんことを請ふたが、有司之を容れず、台駕に直訴せんとし、遂に以聞して、攝津桑津村に寺領百二十石を與へらるゝことゝなつた。【中山寺に瑞世】晚年中山に瑞世し、足利高基と親交があつた。【妙國寺境内隱栖】後幾何ならずして泉南に歸り、妙國寺の東南隅の小菴に退隱した。寬永十年微恙に罹り檀越の懇請によつて入洛、四月四日遂に世壽五十歳を以て、同地の頂妙寺に遷化した。(佛心歷代師承傳)