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(二二〇)隱岐宗沕

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 隱岐宗沕通稱は駿河屋與左衞門高林齋懿潜と號し、法諱を龍叔宗沕といふ。(釋宗沕禪定門墓表、淨得寺過去帳)【總年寄役九間町の江岑宗佐の門人】堺の人で、九間町に住し、北本鄕の總年寄役を勤めた。始め江岑宗佐の門に入り、(茶人系傳全集)後良休宗佐に隸して茶湯を究め、堺阪及び諸國に其門弟頗る多かつた。代々富豪を以て聞こえ、又古代の名器及び織物の鑑定に長じた。(數寄者名匠集)茶祖珠光之傳の著作がある。(茶祖珠光之傳)御物名物記に兩國の銘ある筒の花入を所藏した。此筒は武藏、相模兩國の境界に於て之を切り、よつて兩國と命名されたので利休の判並びに添狀があつた。(數寄者名匠集)正德三年二月二十一日歿した。(釋宗沕禪定門墓表、淨得寺過去帳)【墓所】【壽碑】堺市錦之町東二丁淨得寺に其墓碑があり、題して釋宗沕禪定門といひ、南宗寺の墓地にも亦壽塔がある。