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(二二五)伊丹屋宗不

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 伊丹屋宗不は心甫庵紹無の子で、通稱を源左衞門といひ、法名を傳翁と稱した。【惣年寄】【絲年寄】湯屋山口町に住し、北本鄕の惣年寄並びに絲年寄を勤めて頗る勢力があつた。(文化十年手鑑)【小堀政一の門人】【茶室】茶湯を小堀政一に受け(茶人系傳全集)澤庵、新屋四郞左衞門(宗不書狀)玉舟、玉室、永井尚政に交り、茶亭は政一の設計になつたといはれて居る。(茶人系傳全集)父子二代相續いて茶湯を以て、其名遠近に聞こえた。(數寄者名匠集)父の菩提の爲に心甫庵を中之町寺町に創建したが、後南宗寺境内に移轉し、塔頭の一となつた。(數寄者名匠集、南宗寺諸法度)澤庵肖像に題して「或時成主或時賓、賓主不離只个人、六十餘年一三昧、茶神若有是茶神、」と澤庵の示寂に先だちて、享齡六十五歳を以て歿した。蓋し寬永の末年であつたであらう。(明暗雙雙集卷之四、五)家に銘布袋の茶入あり、後江戸の冬木宗悟の手に移つた。(數寄者名匠集)其他數種の珍奇の茶器を襲藏したが、(全堺詳志卷之下、數寄者名匠集)孫源左衞門の時代に之を散逸したといはれて居る。(數寄者名匠集)

第六十九圖版 伊丹屋宗不書狀