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(四二)超願寺

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 超願寺は弘光山と號し、【位置】神明町東二丁字寺町にあり、淨土宗西山派光明、禪林兩寺末であつたが、明治二十九年一月光明寺末となつた。寺格香衣地十三等。【沿革】當寺はもと十萬の開基恩冏衆德の叔母に當る近江淺井郡の清心比丘尼(永正九年三月十四日寂)今の御幸道の邊に菴居し、天文元年二月衆德其遺跡に堂宇を創建したもので、(超願寺由緖書、十萬上人略緣起)【本尊】本尊阿彌陀如來は鳥佛師、脇士觀音、勢至兩像は運慶の作と傳へてゐる。(超願寺調査書)【堂宇】本堂、庫裏、門、地藏堂あり、庫裏は大正元年八月改築、境内百五十二坪。(社寺明細帳)【墓碑】堂前の西南隅に贈從五位吉川俵右衞門の墓がある。もと梅翁寺にあつたものを、同寺の移轉と共に玆に移轉したものである。(堺市史蹟志料)【什寶】什寶に傳惠心僧都筆來迎佛一幅、同紺紙金泥十三佛畫像一幅、同紺紙金泥阿彌陀佛畫像一幅、紀寬信筆涅槃像一幅、觀經曼多羅一幅、渡唐天神畫像一幅等がある。