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(二七)本行寺

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 本行寺德修山と號し、【位置】西湊町字中筋にあり、日蓮宗妙顯寺末、寺格素緇跡八等。【開基】慶長八年妙像院日后(元和九年五月十五日示寂)の創建で、(德修山本行寺由緖)【本尊】本尊は題目寶塔、釋迦、多寶二佛、上行、無邊行、淨行、安立行の四菩薩、文殊、普賢の兩菩薩、持國、廣目、毘沙門、增長の四天王、妙見大士、鬼子母善神、十羅刹女である。【堂宇】本堂、庫裏、客室、座敷、鐘樓、門あり、外に妙見堂及び布袋堂の二宇がある。(社寺明細帳)【妙見堂創建の由來】妙見堂は元祿八年正月第三世正教院日是大内義弘の冥福を祈らん爲、戰死の地と稱する墓畔に建てたものである。【大内義弘の傳説】傳へいふ應永六年十二月二十一日の戰に義弘、現今の妙見堂祠畔荒凉たる竹藪に遁れて敗死した。里人之を痛み、遺骸を厚葬して樟樹三株を植ゑたと。中二株は既に久しき以前に枯損したが、一株は今尚存して當時を追懷せしめてゐる。(妙見宮の由來)境内四百五十坪。(社寺明細帳)【宗祖の木像】什寶日蓮木像は大覺僧正の作で、堀尾義晴の念持佛であつたが後岸和田城主中村一氏の家臣藪内匠の奉仕するところとなり、内匠關ヶ原の役に從軍するに方り、鐵砲工匠庄右衞門に託し、遂に當寺に奉安せられたと傳へてゐる。(宗祖大菩薩の緣起)