【所在】鄕社
方違神社は堺市東方三國ヶ丘町に鎭座し、周圍に小溝を廻し、西南は
反正天皇御陵の環隍、東南は堺市東郊の臺地、北は府縣道國分堺線に接した境内三千五百五十七坪三合八勺の社域である。【境内】第一鳥居は境内北西部にあつてそれより東南へ敷石を敷き、敷石は境内中程より更らに東へ折れて拜殿前數十步の所で終つてゐる。敷石の屈曲箇處に第二石鳥居があり、其終る所に第三石鳥居がある。第一鳥居を過ぎて程なく鋪道の西方に
向井神社本殿修繕石造瑞籬建設記念碑がある。【
三國丘碑】記念碑の南方に鳥居駒吉の建設に係る高さ八
尺、幅四
尺餘の
三國丘の碑が建つてゐる。【
養蠶興業碑】更らに右碑石の西南隅に
正木林作翁の
養蠶興業碑がある。碑は高さ一丈餘、幅三
尺、表面に正水林作翁と記し、裏面に碑文がある。其南方一帶は神苑で、藤棚を設け櫻楠等を配してゐる。【
神功皇后馬繫之松】又第二鳥居の北には
神功皇后馬繫之松の舊址があつて二丈餘の老松の下に由緖の碑を建設してゐる。第二、第三兩鳥居の中間、敷石の南側樟樹の畔は節分の日火焚神事を行ふ所、同じく北側には西より休憩所、神馬舍、神輿庫等があつて、何れも南面してゐる。【神饌所神樂殿】第三鳥居と拜殿との間は一帶に白砂を敷き、其北側に南面の神樂殿、神饌所がある。此兩殿はもとの拜殿で、切妻瓦葺の桁行九間一
尺二寸、梁行二間四
尺五寸、内桁行東方三間一
尺二寸を神饌所、西方六間を神樂殿に充てゝゐる。【拜殿】神饌所の東南隅第三鳥居の正面に當つて拜殿がある。
向井神社の舊拜殿を移したもので、桁行五間二
尺六寸五分、梁行二間一
尺五寸の瓦葺入母屋造となり、正面に千鳥破風の向拜を附し、奧に幣殿、本殿がある。【幣殿】幣殿は桁行二間一
尺二寸、梁行三間四
尺二寸の切妻瓦葺であるが、元本殿の向拜を建增したものである。【本殿】本殿は二間一
尺二寸四方の
朱塗切妻二間社で、住吉造の變形である。内部には更らに住吉造を模した極彩色の小祠を置き、幣殿との境に唐門を設け、門扉を以て外陣の扉としてゐる。本殿、幣殿は繞すに石玉垣を以てし、幣殿の南より廊下を以て神符授與所及び社務所に聯絡してゐる。【遙拜所】又前記神樂殿の北に西面の東西七間、南北四間半の遙拜所があつて周圍に生籬を廻し、正面に高さ六
尺、幅一間四方の壇を設け、鳥居を建てゝ拜所とし、遙拜所の東、本殿の北に當つて曲玉池とて其形狀を曲玉に模した菖蒲池があり、【末社】池の東、境内の東北隅に當つて末社
稻荷神社がある。
第百五圖版 方違神社實測圖