第百十九圖版 本派本願寺堺別院見取圖
右は本堂前廣場を中心とした諸建築であるが、更に本堂を中心として其東に香房と御殿とが南北に並列し、其南は前述蓮如の靈廟になる。又北に白書院と對面所とが南北に並び、更らに其北方に長御殿、北玄關、輪番所等がある。【對面所】其中對面所は大玄關の東にあつて西面の桁行十三間、梁行十六間一尺五寸を有し、法主來院の時一般參詣者對面の場所である。殿内の間取は西南北の三方に各一間幅の鞘間があり、鞘間の東は東西に竹柵を廻して内外に分ち、柵外は更らに南中北の三室に分ち、中央四十四疊、南北兩側各三十三疊を敷き、共に詰所になつてゐる。柵内は東西に二分し、各南北三室に分たれ、東三室は西三室よりも一段高くし、中央を佛壇間、南を上壇間、北を脇間として共に六疊を敷き、西三室は、柵外に續き、中央十二疊、南北兩側何れも八疊、佛壇間は廣如上人筆學佛場の扁額を揭げ、正面に須彌壇を安置して阿彌陀如來の影像を懸け、上壇間は法主對面の時臨場の座席となる所で、正面東方に二間二尺の床があり、其南側に二間三尺の書緣がある。脇間は正面に法眼周桂筆の金地極彩色の櫻閣山水圖を描き、又北側鞘間の南境に嵌めた十八枚の襖には小瀨楳〓が一面に梅の墨繪を描いてゐる。對面所西南隅より通じた鞘橋を渡れば本堂の西北隅となる。本堂は西を表とし、【本堂内部】内部は合天井になり周圍は各一間幅の鞘間となつてゐる。東側及び南北兩側東寄の一部を板敷、其他を疊敷とし、其東側板敷に限つて後門(ごうもん)といふ。鞘間の中は東西に三分せられ、東を内陣又は上壇間、次を外陣、次を一般參詣所としてゐる。内陣は天井の組物に極彩色を施して南北二室に分ち、中央を佛壇間とし、南北兩側を餘間上壇といふ。佛壇間は中央に出佛壇を据ゑ、御廚子の中に本尊阿彌陀如來の木像を安置してゐる。最初の本尊は德川時代の初江戸築地別院に奉遷せられたので、准如上人自ら高さ三尺一寸四分の木像を彫刻して足裏に署判して之を安置した。出佛壇の後方左右には脇上壇があり、右脇上壇を祖師殿、左脇上壇を御影堂とし、祖師殿には宗祖親鸞上人の木像を、御影堂には本派本願寺歷代の御影を安置し、各殿の前方に累疊を敷き法主の拜座としてゐる。南側餘間上壇には聖德太子、七高僧の御影を安置し、北側餘間上壇には蓮如上人の木像を安置した御廚子がある。兩餘間上壇の前方外陣は各四枚の襖で境せられてゐる。又外陣は内陣同樣に南北三室に分ち、中央二十疊、南北兩側各十五疊を敷き、經机、燭臺、其他の調度を置いて平常法要の座とし、中央正面には廣如上人筆の信證院の扁額を揭げ、一般參詣所は前同樣南北三室に分れ、中央四十疊敷南北に南北兩側各三十疊敷となつてゐる。【喚鐘】外陣南側の鞘間には寬政十一年車町絲屋莊右衞門孝治寄進の龍頭下三尺、下方内部直徑約一尺八寸の喚鐘を吊るしてゐる。喚鐘の畔なる楷段を南へ降り、廊下を西に進めば蓮如上人靈廟の拜殿へ出る。【蓮如上人靈廟拜殿の内部】拜殿は天井の中央に人天蓋を吊り、正當忌法要には禮盤を据ゑて導師の座となすところ、【靈廟】續いて拜殿東側中央より石橋を渡れば西面の靈廟に出る。廟は上人分骨の埋葬所と稱する所、寶珠形一間四寸八分四方の規模で西南北の三方を觀音開の扉とし、内部中央に御厨子を据ゑ、正當忌日に上人の影像を揭げることゝしてゐる。靈廟より引返し前記板敷鞘間に出で東に進めば本堂東側の後門へ出る。後門の東方には香房と御殿とが相並び、共に後門より楷を通ずるも、兩殿の間には聯絡がない。【香房】【御殿】次に香房は本堂内陣係の詰所に宛てられ御殿は法主巡錫の際の宿泊所として本堂と脊中合せに建つてゐる。【白書院】白書院は本堂の東北、對面所の東に當り、法主來院の際僧侶引見の所、其規模南北に長く、西南北の三方に鞘間を附し、鞘間の中を南北三室に分ち、南より上壇間(九疊)次之間(十二疊)下壇間(十八疊)としてゐる。白書院北側鞘間より北へ通じた廊下を渡れば長御殿となる。
第百二十圖版 蓮如上人靈廟