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(四)十萬屋敷址

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 【所在】十萬屋敷址は錦之町西二丁及び北半町字高須の二箇所にある。【創設】初め北十萬の開祖十萬上人孤獨窮民收容の爲め境内六十坪の地に建てた長屋であつた。(北十萬略緣起)【元祿二年の狀態】同長屋は元祿の堺大繪圖には非人借宅と記し、北十萬境域の北方で西面の表六間半(新間七間二寸五分)裏入七間四五寸(新間八間二)を有してゐた。【舊址】此境域は現在北十萬の北方辨財天及び錦之町西二丁一番地三浦〓氏住宅に相當する。【移轉地】然し此非人借宅も文化四年十二月命によつて北十萬より所替の印形を取り、翌五年五月稻荷町に移轉した。(北十萬境内非人共地所替一件)【舊地】稻荷町は北稻荷町で、今の北半町字高須を指すのである。高須の十萬屋敷は非人小屋と稱し、稻荷橋の南詰西側土居川に沿ふた所であつた。(文化十五年改堺繪圖)