図-6 静川ボーリング・コアの層序と花粉帯
ボーリング地点は標高二〇メートルの台地で、掘削深度は八〇メートルである。地層は、下位からSZI層~SZVIII層まで、八層に区分されたが、問題の地層はSZIII層である。この地層は海面下二五メートルから三二メートルまで、七メートルほどの厚さをもっており、泥炭層をはさむものである。この泥炭層の花粉分析の結果は、カラマツ属とトウヒ属が優勢で、ハシバミ属・カバノキ属・ハンノキ属をともなう亜寒帯林の植生を示している。また、下位のSZII層は海成層で暖流系の貝化石を含むことから、早来―厚真地域に分布する早来層(音江別川層に相当)に対比され、さらに、上位のSZIV層も海生の貝化石を含み、同じく厚真層(もみじ台層に相当)に対比されている。このような層位関係から判断すると、SZIII層の堆積時代は、ほぼ竹山礫層に対比できるのである。
この静川ボーリングの資料から、竹山期は中期更新世末期(二〇万年~一三万年前)の寒冷期、すなわち、ヨーロッパアルプスのリス氷期に相当するものと考えてよい。
このように、竹山期の札幌地域は、低地部にはグイマツやアカエゾマツ、エゾマツなどの針葉樹やカバノキ、ハンノキなどの広葉樹の混じった疎林が展開していたが、山地はほとんど植生におおわれておらず、岩肌が直接あらわれた荒涼とした景観が展開していたであろう。そして、寒冷な気候は岩石を凍結破壊し、多量の岩屑を下方に押し流していたにちがいない。竹山礫層はこんな時期の産物なのである。
このように、野幌丘陵は、約二〇〇万年前から八〇万年前くらいまでの海底に堆積した裏の沢層と下野幌層を土台とし、その後の地殻変動(撓曲運動)によって台地化し、約三五万年前の温暖期の海面上昇やそれにつづく寒冷期の浸食、堆積などの作用によって修飾されながら、約一五万年前くらいまでには、ほぼ、現在の形態にちかい丘陵地に成長してきたのである。