村垣範正の『公務日記』(各冊異なる表題を総称)は調査団の一方の責任者の手になる記録であり、個人の私的な日記ではあるが、本調査行の全容を知るのに欠くことのできない、公的な内容をもつ史料である。
イシカリ辺に足を入れた記事は『奥州路松前在西蝦夷地北蝦夷地日記 行』と表記された巻に含まれ、経過地の地名、地形、天候、里程と交通の便否、運上屋、請負人、運上金、アイヌ戸口、漁小屋数、漁獲量等を日順に記録している。堀グループとちがい、村垣等はイシカリを宿泊地とせず、船行途中で昼食のため立寄るだけの休憩地に選んだのは、天候や船便の都合によるもので、カラフトへ一日も早く渡ろうと進む堀一行を追っての途上であってみれば、やむをえないスケジュールなのだろう。シャコタン半島を越えて日本海岸を北上してきた村垣の眼に映ったイシカリの光景は「是迄の海岸とは大いに違い、風土も殊也」と感じさせたが、イシカリ川とその川上に広がる土地に思いをはせるほど充分な時間をここですごすことはできなかった。
なお村垣の日記から、旅行に要する船頭や水主の手当、アイヌへの給与等は公費からの支出であるが、すべて「文化度の例」(一次直轄期)によってなされていることがわかる。舞を見せてくれたアイヌへの礼金(物)は私的経費で、個人負担(自分入用)なのである。こうした面にも勘定奉行の下にあって、いかにも几帳面で前例を重んじ役務に勤める幕吏の一面を見ることができよう。