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箱館奉行の廻浦

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 箱館奉行は、安政三年(一八五六)七月には三人おかれるようになり、それぞれ江戸・箱館在勤、蝦夷地廻浦というローテーションが組まれるようになった。その後、人数に若干の出入りがあり、以上のローテーションは必ずしも遵守されてはいないが、ここで扱う箱館奉行の調査は、蝦夷地廻浦の際の調査をいう。
 箱館奉行あるいは奉行並は、第二次直轄以降、表3の一三人が任じられた。このうち、蝦夷地廻浦でイシカリ入りしたのは、現在確認される限りでは①竹内保徳、②堀利熙、③村垣範正、④津田正路、⑤糟谷義明、⑥小出秀実、以上の六人である。六人のうち、村垣範正は安政四年二月、五年四月、同年八月の都合三度来ている。この他、安政二年に竹内保徳、文久元年に勝田充が廻浦に出ているが、イシカリ入りしているかどうかは、いまのところ判然としない。
表-3 箱館奉行補任表
 奉行名任命退任
1 竹内 保徳 安政1・6 文久1・1
2 堀 利熙   1・8 万延1・11
3 村垣 範正   3・7 文久2・7
4 津田 正路   5・10   2・7
5 勝田 充 万延1・9   2・7
6 糟谷 義明 文久1・6   2・12
7 水野 忠徳   2・7   2・9
8 小出 秀実   2・11 慶応3・7
9 新藤 方涼*   3・12   3・10
10 杉浦 勝誠 慶応2・1   4・閏4
11 栗本 鋤雲   3・6   4・閏4
12 織田 信発   3・9   4・2
13 橋本 悌蔵*   4・2   4・閏4
       *奉行並 

 奉行廻浦の折には、各場所請負人より諸資料を提出させ、また請願をうけたりなどしている。安政五年に村垣範正がヨイチ入りした時は、漁獲高・運上金・人別・備米・備金を書き上げ、オムシャのためにアイヌ三役の名前、老人の名前などの書上も提出されている(余市町史 資料編一)。このような状況であったので、奉行廻浦に際し諸資料が集まり残されることになる。しかし、イシカリでは安政五年以降直捌となり、さらにイシカリ役所関係資料が、昭和二十年の石狩町役場の火災により消失し、廻浦資料は一切残っていない。