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経営指針の提示

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 慶応二年二月にイシカリ御手作場の差配を命じられた大友亀太郎は、直ちに同月、開墾取扱掛の職名をもって箱館奉行所宛に三通の調書および願伺書等を提出している。そしてこれらに対する指示・回答が、小出箱館奉行に伺い済みの上、箱館奉行所調役最上徳内を通じて一括して達せられている(石狩開墾取扱願伺取調書上帳 大友文書)。いまこの提出書類に記された提示諸要件と、その回答等を合わせ見てみると以下のとおりである。
 第一の書類は、農民一戸の移住入植に要する諸経費の概算と、また御手作場経営に当たり大友が抱く基本的な指針を陳述したものである(石狩御手作場新軒取建入用大略取調 大友文書)。ここにおいて大友は三項を指摘している(なお移住農民一戸分の諸経費の概算内容に関しては後述する)。
 ①御手作場の経営に当たり移住経費の概算を一応提示したが、これは目下現地の状況が不分明なのできわめて大まかなものに過ぎないと断り、したがって入用経費に関しては移民数の多少、諸物品価格の高下などを勘案して、一年ごとに巨細取り調べの上に改めてイシカリ役所へ提出したいこと。また開拓に当たっては現地に赴き地味、用水、交通などを充分見きわめた上、その地所の絵図や仕法の雛形を提出し、それらに従い手違いのないよう取り扱いたいこと。ただ選定した地所がアイヌの人たちにとって障害であるとの申し出があったならば、そのアイヌの人たちの住居の移転を申し付けるように対処してほしいこと。
 ②前記の自分たち(大友・関)宛のイシカリ開拓取り扱いに関する申渡書中に、イシカリ役所の指図を受けて開拓を取り計うべき旨の指示があったが、多くの人の勝手な考えがからんでは将来にわたっての事業の成功は覚つかないことは明白なので、かつての木古内・大野両村の開墾において与えられた処置と同様に、開拓事業の一切は自分たちにすべて任せ切ってほしいこと。
 ③大野村開墾において扶助米が遅延し、農民への給付に大いに困惑した経験にかんがみ、農民扶助米は一年先を見越して購入し確保しておいてほしいこと。
 以上の三項を大友は開陳しているが、これらに対し箱館奉行所は次のような指示を与えている。①の御手作場地所についてはイシカリ役所と相談の上、アイヌの人たちに障害とならないような地を選定すべきこと、また③の農民飯米については、不都合が生じないようイシカリ役所へ指示する旨を書き添えながら、②への対応を基本として「石狩御手作場御入用其外之義、見込之通り取扱可申」として、ここにイシカリ御手作場経営の思惑は、一切大友に委任するところとなったのである。