ビューア該当ページ

イシカリ赴任に際しての諸条件提示

925 ~ 926 / 1039ページ
 次に第二の書類は『石狩出張ニ付奉願上候』と表記されたもので、ここでは七項の要望が掲げられているが(石狩開墾取扱願伺取調書上帳 大友文書)、その内容とそれらに対する回答を要約して記しておきたい。
 ①大友と共にイシカリ開拓取扱として発令された関定吉が依願免となり、「私壱人ニテ取扱、万一手違等モ有之候テハ恐入奉存候ニ付」として、開拓取扱に当たっての協力者の任命を要請している。これに対し奉行所は「追テ沙汰可有」とこたえているが、ただちに発令はみなかった。ただ、その後慶応三年正月に大友のもとに開墾取扱世話向手付として貞助が用され、翌四年九月まで配置されている。
 ②イシカリへ到着次第直ちに地所を見分して普請に取りかかるため、黒鍬七、八人を箱館より引き連れて行きたいが、その者らの鋤鍬ならびに道中費用の拝借と、人足の差配、取締りのためにい入れる黒鍬頭取の別段手当(一日銀一匁)の支給とをそれぞれ要求している。これらに対しては、すべて支給すべき旨の回答がなされている。
 ③八、九月頃移住予定の農民に給付する、米、塩噌、農具、家財等の諸物品は、夏中に買い入れてイシカリとオタルナイに入津させておいてほしいこと、また以降のこれら諸品の一手買い入れ方を要請している。これに対し今年度分は運送上の問題もあるので、現地で調達不可能な農具、家財類は箱館で購入し、米、塩噌類は差し当たりイシカリ役所買上品を渡すこと、また来年以降の入用品は、イシカリにおいて越後その他に注文すべきとの奉行所の回答である。
 ④大友がイシカリへ赴き御手作場の選定・造成を開始するに当たり必要な測量機器のうち、小方儀ならびに分度、曲尺の借用を求めたのに対しては、その貸渡しを申し渡している。
 ⑤御手作場における開墾事業に入用の筆、墨、紙の代金として、木古内・大野両村での処置と同様に、年間金二両の支給を求め、これも容認されている。
 ⑥イシカリ赴任後の公用出張の旅費、また石狩役所出張の節の宿泊費の支給を要請したのに対しては、不許可となっている。
 ⑦開墾取扱の職務に当たり、従来の在住身分の居宅では狭隘なので、農夫を取り扱う理由をもって広い家作の普請を要求しているが、これに対し奉行所は、絵図面を添えて改めて伺をたてるよう申し渡している。