一 | 、樺太の風土は予想外に開拓に適すること |
一 | 、ロシアの樺太経営はアジア進出の第一歩で、その後北海道・日本から朝鮮・支那・印度をも併合しようとするものだけに、樺太の開拓・経営は重大性を有すること |
一 | 、樺太に境界を画定せば地を割きてロシアに与えることになり、雑居のままならば勝手な振舞をさせることになり、現地における交渉は条理のみ立ちて暖簾に腕押しの状であること |
一 | 、当面の急は内地不用の民を移して彼を圧制し、彼自ら退く様になすこと |
一 | 、樺太航路、樺太内交通運輸を整備し、農作種子を供給すること |
一 | 、西洋人を雇用して戸籍・税法を整うこと |
一 | 、樺太警備策としては、先ず北海道の開拓整備を充実し、石狩に本府を移して強大藩に鎮守させ、樺太においては外務・開拓の両機関を合併し、敷香に陸奥の鎮守府を移して総括させ、郡令を置き、奥羽の降伏人を農兵として軍団を編成すること (日露交渉史) |
というもので、現状に直面している現地派遣官員は、おしなべて対露強硬論を有していたが、丸山のはその代表的意見といえる。
それに対し政府は、二年九月北地出張の諸官員に与えた三条右大臣の諭示にみられるように、「樺太ハ魯人雑居之地ニ付、専ラ礼節ヲ主トシ、条理ヲ尽シ、軽卒ノ振舞曲ヲ我ニ取ルノ事アル可カラス、自然渠ヨリ暴謾非議ヲ加ル事アルトモ、一人一己ノ挙動アル可カラス」(公文録 開拓使伺)と、ひたすら隠忍自重を求めていた。