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札幌本府建設の中止方針

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 岩村は札幌着任後の執務の方針として東久世長官へ数項目について書き送っている。その書簡は、島判官離札後の札幌建設経営の方針を考えるのに参考となる史料である。第一に、函館から小樽への途上、岩村判官は諸場所の生産量と例年の収税額などを調査し報告している。これはおそらく島判官がとった場所請負人の廃止にともなって二八収税の政策を徹底したことの調査である。第二に、札幌の大工等諸職人などを削減すること。これは元々樺太へ派遣される予定であった南部職人を、四月はじめに樺太行きの船に乗せて処理した。第三に、兵部省との引継について。第四に、樺太売却を丸山大丞へ話すことに懸念を持っていること。第五に、札幌経営の順序について、本府建設を後にまわし、先に移民を入植させて村落をつくること。第六に、島判官が採用した元請負人の免職と会津降伏人の登用のこと。ほかに官禄の相場のことと地域による割増のこと等々である(三年三月二十六日付東久世長官宛岩村判官書簡 犀川会資料 全)。
 第二、五条では、次のように記している。
札幌には、大工三拾人、木挽四拾人、鍛冶八人、人足三拾人残置、其余ハ為引払申候。金穀の目的相立候はゞ、如何様にも盛ニ可仕様胸算屹度相立申候。右職人共は是迄営繕懸りの方始末為相付新ニ手を下し候分ハ先つ見合中ニ御座候
金穀の目的相立候はゞ、兵部省にて取懸居候七百三拾軒計り札幌へ営繕仕り、当年中に農具其外共大様相揃へ、米穀もせめて三四月は相支候様心配仕り、明早春奥・羽・越より壮健の輩相撰、彼方之人別を除き愈以永住のもの相移、直に開拓に取懸候様可仕含に御座候。嶋判官の指図は役所且長官邸、判官及大主典邸等早々営繕の積り。判官邸畳数二百六拾枚も敷候。図面其余は准右、実ニ結構を極候。私の考にては、役宅等は、成丈御入費無御座様仕り、当年は是非共農家十分に相建可申心得ニ御座候……。
(同前)

 今まではこの二条をもとに、島判官の計画は中止されて、この三年中は継続事業だけが細々と続けられたということになっている。しかし実態は後述の通り、三年中も島判官の計画に沿って新規の建設事業が進められた。むしろ当然のことだが、官舎役宅の建設などの土木工事は、雪中の島判官在任中より多く行われている。
 しかしこの方針は、三年七月の次のような布達に引き継がれ、札幌への本府建設方針は一時中断する。
札幌建府ノ得失衆議紛々ニ候へトモ、何分当時ノ姿ニテハ官舎ヲ設、且人民移住為致候義一度ニハ御入費難相整候ニ付、先以テ人民ヲ移住為致、点々村落ヲ成候上、建府可致、只今役宅等相応ニ取建有之公私トモ差向差支候義無之ニ付、今明年ノ間ハ別紙(略之)移住民取扱ノ外臨時ノ御入費無之様官員一同着目注意可致候
(開拓使布令録)