札幌での町(市)会所の経費を賄うための、後の地方税に当たるものの徴収は、四年四月の達で永住戸役銭と家持出稼役銭を各一戸につき永三五文を徴収することにしたことにはじまるようである。その後六年に札幌と函館だけに区入費の徴収を決定した。その時の札幌での徴収見込は、市民七〇〇戸から徴収し一〇六七円と見込んでいる。七年には開拓使管内区入費分賦概則が制定され、区入費の使用費目を定めた。それによると扱い所造営並びに修繕費・同所内需用の什器並びに筆墨紙炭油費・同所小使い給料掲示場建設並びに修繕費・道路掃除並びに便水所入費・用悪水路小修繕費・消防入費迷子棄児臨時手当入費・本籍不明者の溺死行き倒れ病気等手当入費である(市史 第七巻)。
地方三新法の制定にともない地方の税制も整備され、十三年二月区入費を改正し、民費を徴収することが達せられる。これは財産高により上中下に区分し、さらに各々を三等に区分し、全部で九等に区分して戸数ごとに徴収するものである。これは十四年四月戸数割税規則が制定されて、戸数割民費を戸数割税と改正され、賦課規則も整備された。賦課方法は貧富に応じて徴収し、その賦課率は毎年郡区長が制定することにし、一年を二期に分けて算定し、二期に分けて徴収することにした(同前)。
次いで十五年には協議費と改称され、十六年には協議費の総代人による議決の方法などが定められ(同前)、まだ自治体という体裁ではないがそれなりの収税法や議決法が整備されていった。