この御用火事で焼かれた地域には、『細大日誌』にあるようにガラス邸から脇本陣近傍が含まれている。その地域は、この年建設が予定されている本庁舎、諸官邸・官宅などの敷地に相当する。この地域は島判官の構想でも、『札幌区劃図』の構想でも官地の区域であり、四年に移住してきた商工民たちもこの地域に家屋や小屋をつくった形跡はない。そのことから考えてこの地域の焼き払いは、この年に開始される札幌の本格的建設のために、本庁や官邸・官宅などの敷地などを確保することを目的に行われたと考えるのが妥当である。特に当時札幌での人足賃は非常に高額であり、その地域を人足に草刈りさせることは、時間も経費も多額にかかることである。秋の札幌会議で示されるように、岩村判官は多額の経費をかけて本府建設を大々的に実行した。草刈り賃の節約はそれに比べ微々たるものであったかもしれないが、時間と金を節約して本府建設そのものに集中させようとした可能性は否定できない。