開拓使はケプロンの意向をも踏まえて、市内大通~北一条、東一丁目~四丁目の約三町四方を工業課管理地とし、米国から購入した水力・蒸気両機械を装置して、アメリカ人指導の下に生産力の高い木挽から機械、器具製造に至るまでの機械工場を設け、水力機械所完成の八年そして翌九年以降は、物産局管理下に豆、麦などの農作物並びに農民の副業として営ませた麻、繭などを原料とする官営の加工工場を建設した。その生産物の供給により移住農工商民生活の安定を計ると共に海外並びに府県からの輸入を減らし、さらに北海道生産物の移輸出力を増大させようとする計画を進めた。統廃合を含めて施設された四〇カ所以上の官営工場のうち、半数を越す工場が札幌に集中して設けられている。