札幌開発に当たって募移・自移工商移住者などに対し、開拓使が家作営繕費一〇〇円を無利子一〇カ年賦完納の約束で貸付けている。六年十二月現在市中においてその家作営繕費の貸付を受けた者は六〇〇余人に及ぶとある。開拓使は六年、凶作期のための米穀貯蔵を目的として「市中積穀規則」を設けた。その資金は次のように調達した。まず、用達井筒屋木村伝六に家作営繕料の月々の返済金を集めさせ、一月から十月まで伝六に預け、その金をもって金融業を営ませる。伝六は一カ月一分二厘五毛の金利を添えて、十二月二十五日に市会所に納める。ついで同会所はそれを即日開墾局に納める。開墾局はその金利を積立て、一〇カ年後米倉を作り、凶作時の市民賑救の手当とする。つまり開拓使が札幌市民に貸付けた家作営繕費の返済金をもって木村伝六に金融業を営ませ、その利益で社倉を設置するというものである。しかし七年の不況期で、貸与の家作営繕費の支払を怠るもの、失踪するものが多く出た。そのため開拓使は札幌へ帰らない失踪者二六戸から家屋を没収した。また返納を怠るものには、市民に限り貸与額の八分を棄捐し、残りの二分をもって完納とした。このようなことで、伝六の市民からの家作料返済による金の積立てをもとにする金融業は良い結果を得なかったものと思われる。