七年十一月、札幌神社菊池宮司は開拓長官あて「北海道布教方法ニ付願書」によって、布教をさかんに行うためには「教員ヲ増加セサルヲ得ス。将サニ教員ヲ増加セントセハ、須ク当社ヲ官幣大社ニ列セラルヘシ」(開拓使公文録 道文五七七六)という理由で昇格願を提出、開拓使も翌十二月に教部省あて進達したが、これは成らなかった。
こえて十年十一月、同社大貫宮司は開拓使あて、後述する社地市中移転問題と共に、官幣小社であるため人員も少なく、布教等諸活動にも支障を来たすとして、官幣中社昇格の取計を願った(願伺届留第一号 北海道神宮)。ついで十一年七月、同宮司名で教部省あてに、移住促進には敬神愛国の心を固める必要があり、そのためにはまず神社を壮大にするべきであるが、拝殿等の完成により境内も一変、また例祭には「市中ノ人民モ相競テ練物屋台等ヲ出シテ大ニ賑」(神社教導録 道文二四八〇)ったという移民定着上の効用もあげて、ふたたび昇格を願った。
しかしこの願には回答がなく、同年十二月、これも含めて宮司が出京したいと願ったのに対しては、「社格ノ儀ハ即今詮議中ニ有之」(神社教導書類 道文三一二四)とのみ回答があり、さらに十三年三月に「社格上昇ノ義ニ付願」を長官に提出し、内務省へ交渉方を懇請したが(神社教導書類 道文三八七六)、社費の問題を中心に同使の了解は得られず、十四年七月さらに長官あて、ひきつづき八月には開拓大書記官あてに上申書を提出して運動したが、結局不成功に終わった。