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札幌の都市建設計画

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 明治二十年代の札幌は、自治的権限を有していない時代であり、かつ上級監督庁である北海道庁も、札幌周辺からさらに石狩平野の奥地開拓へ向かう時代であり、後の時代でいう都市建設計画というものをたてて札幌を建設したということはなかった。しかしこの時代の都市札幌であっても、無計画に建設されたとはいいがたい。それは次の三点が、前時代までに都市建設の方向性として規定づけられていたといえるからである。第一に、現在でも札幌都市建設の基本である碁盤の目形態があったことである。第二には、何もしなかったといわれる札幌県時代に、市民が自分たちの要望を明確にし、それを区役所が的確に札幌県へ伝えていたことである。そしてそのため第三に、札幌県の時代から道庁初期にかけ、大下水路や市中道路や周辺村落の連絡路などの都市としての生活基盤の整備が進行していたことである。この時代については、札幌の建設の様子を示す一次史料群はまだ見出していない。『北海道毎日新聞』紙上に載せられた札幌建設に関する記事から類推するしかない。したがって非常に不明確な歴史しか描けないのが、この時代である。しかしその新聞紙上から見た印象では、明治二十年代になっても、札幌の都市建設構想に上記三点を基にしたいくつかの都市建設の方向性が示されているように思われる。