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(4)味噌醤油醸造場

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[注: 文中の屋号は、〓で表示されています。屋号は、刊本閲覧から画像でご確認いただけます。]

 明治二十年代から三十年代にかけて札幌にあった味噌醤油醸造場は、開拓使から払下げをうけた札幌市街対馬嘉三郎の工場(興成舎)と、二十年に笠原文平に払下げられた篠路の工場とがあったが、篠路の工場は三十年市街に移転している。その時点に札幌にあった工場は次のようであった。
 〓西尾長次郎(南一西四) 〓斎藤甚之助(南四西四) 〓亀畑吉蔵(南六西五)
 〓福山甚三郎(北四西一) 〓桝田兵作(南三西三) 〓奥山角三(南一西五)*
*〓印田中善吉から明治二十八年奥山角三が譲り受け奥山合名会社として経営、この期間豊平三条一丁目に移り三十三年札幌味噌醤油合資会社に改組。