札幌県治下、札幌の七器械所のうち水車機械所、木工所、蒸気機械所を合わせて札幌木工場になったことは前に記した通りである。この工場も二十年六月、対馬嘉三郎へ三カ年間純益の五パーセント上納として貸与したが、この年の収入一七二〇円、支出一五〇〇円で利益を得ていることから、対馬は翌二十一年十一月一七〇八円七一銭五厘即納で水車・蒸気両機械所・木工場・土地・家屋・器械・貯蔵・原料・製品等一切の払下げをうけ、札幌木挽所として経営している。建築用角材、板材等の引割をして諸会社及び官庁建築物に供給しているが、その経営は順調に進んだとはいえず代表者が代替わりしている。二十六年には森源三の、ついで笠原文平の手に移り、三十九年には合資会社笠原格一の経営に移っている。