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人工孵化場の設置

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 開拓使では種川の設定による鮭・鱒の保護とともに、人工孵化(ふか)による増殖も試みられた。十一年九月に札幌農黌園の近傍(現在の北区北七条西七丁目清華亭付近)に養魚池をつくり、人工孵化が初めて行われた。しかし卵子一三万五八〇〇粒のうち、一万粒ほどしか孵化に成功せずに終わっている(開拓使事業報告)。
 翌十二年に孵化場の建物が新築され、孵化槽や種魚放養場などの設備もつくられたが、まだ孵化技術も未熟であったために失敗に終わり、十四年にいたり閉場となった(秋庭鉄之 鮭鱒孵化の創始)。

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写真-4 開拓使により作られた人工孵化場(偕楽園内 北大図)