二十九年、官は札幌区・郡を中心に積極的な公認神社創出の方針に転じたとみられる。すなわち『北海道毎日新聞』は、同年九月二十二日付で「札幌区内社寺調査の結果」の見出しで、道庁属と区書記が区内社寺調査を行った結果を掲げ、無願無所属の三つの宗教施設に対し、認可を得るまで閉鎖の処置をとったことを報じている。ついで十月二十五日付では「札幌外四郡内の無願社寺」の見出しで、各郡村落については、無願無資格の社寺教会所は一応黙許し、正当の手続をとるべきことを厳命したにもかかわらず、実行されていないとし、「若し本月中に相当の手続を為さざるものは、其筋より便宜戸長に命じ断然閉鎖せしめんとの内議も之ある由」と報じている。道内開拓地における無願の社寺の存在、とくに神社の取締りは、開拓地の実態と神社政策の整合性から官を悩ませる問題となり、取締通達は、管見の範囲では三十年四月に「社寺取締ノ件」として出されたのが最初である(河野常吉資料 宗教資料第弐 道図)。その動きは前年からあり、かつ開拓地としては早期に開けた札幌郡等でまず実行されたということであろう。おそらく日清戦争後の国家主義の高揚もこれを促進させた一因と考えられる。