前編で記したように札幌、さらには道内の基幹も兼ねる主要宗派の寺院は、明治十年代までにほぼ札幌に進出した。しかし堂宇等はとりあえず建設した場合が多く、また地理的に必ずしも良好な場所を割当てられなかった場合もあり、この時期市街の発展等とも関わって改築・移転がなされ、これによってようやく基幹的寺院の体裁を整えたものが多い。
真宗大谷派の札幌別院は、四年に越後から移築した「仮堂」によっていたが、二十五年九月に二〇五坪余の本堂等を建築した。西本願寺の別院もやはり当初は仮堂によっていたが、二十三年に一二〇坪余の本堂が落成した。中央寺はまず小教院として南二条西九丁目にあったが、布教の不便および区民共同墓地の豊平村移転のための不便と重なって、二十五年九月に南六条西二丁目の現在地へ七八坪の本堂等を建設、移転した。経費はおよそ三〇〇〇円とされている。また新善光寺は、三十年十一月に薄野から南六条西一丁目への移転が許可され、同年十二月十三日から、「造作八分出来」として法要を行った。