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新聞の発行停止

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 当時の新聞は「新聞紙条例」によって、政治上・社会上の理由で官が発行停止処分を行うことができた。札幌でもこの時期いくつかの例がみられる。
 まず二十年七月十九日に『北海新聞』が発行停止を命ぜられ、同二十八日に解除された。治安妨害すなわち政治上の理由であるが、該当するのは同月五日、札幌農学校の卒業式で卒業生柳内義之進の英語演説「北海道論」を分載したのが条例違反とされたようである。しかしこの記事は、同新聞が停止解除後に「如何なる点か治安に妨害ありて然りしか、沈思黙考するも其点を認め得ず」(七月二十九日付)と記したように、内容は内地雑居是非論であるが、特に急進的な主張や批判を行っているわけではない。むしろ官側の規制の強さを印象づける処分であったといえる。
 二十七年には二月十三日付の『道毎日』が治安妨害と認定されて発行停止となり、十九日に解除された。この場合、十三日午前二時半頃に命令が発せられて発行されなかったためであろう、同日付の新聞は残っておらず、従って理由も明らかにし得ない。
 二十八年四月十九日には、今度は『北門新報』が発行停止処分を受けた(道毎日 四月二十日付)。同月二十八日に解除となったが、当日の新聞が「治安妨害」の廉ありと認められ(同前 五月五日付)、再度停止処分を受けた。同年八月十九日には、『道毎日』が、今度は風俗壊乱によって発行停止処分を受け、二十六日に解除されている。
 処分が解除された際、各新聞はそれぞれ社告的記事を掲載しており、たとえば二十年の『北海新聞』の場合は「今日までとて決して注意を怠りしと云ふに非ず、先づ新聞条例に対照し斯くしては条例に触れざるか」(七月二十九日付)と条例に関して細心の注意をはらっている様子をうかがわせ、二十八年の『道毎日』の場合も、いかに慎重に調査ののち執筆しているかを訴えているが、官の言論に関する規制はそれを上回ったといえよう。

写真-13 北海道毎日新聞発行停止解除広告(明治28年8月27日付)