明治二十五年頃の大通の様相について、後に札幌病院長となる関場不二彦は「大通は人影を没するくさむらがあって、イモづるが電柱にからみつき、その中に小道が南北に交差迂回していた」と回想している(北タイ 昭9)。貧しい景況であったことを知る。しかしこの頃から大通の建築景観は少しずつ整えられ始める。二十四年、北大通西三丁目に石造の北海道電灯会社が建てられ、同年同所に屯田銀行が並んで建てられる。三十二年十二月、西二丁目の大通上に石造二階建の札幌電話局舎が落成する。四十三年正面を西方に向けた札幌郵便局舎が完成する。いずれも軟石造の建築である。三十四年、北大通西七丁目に木造二階建の札幌税務管理局庁舎が落成する。三十六年、同じ西七丁目の大通中央に黒田清隆の銅像が除幕する。四十二年、西三丁目の大通中央に永山武四郎の銅像が除幕する。同年東京市の長岡安平技師に大通逍遙地の調査設計を委嘱したことは先に触れた。大通逍遙地が札幌市の管理下に置かれるのは大正十二年(一九二三)のことである。
大正元年に戻って、北大通西一二丁目に石造二階建の札幌地方裁判所庁舎が落成、翌二年南大通西一丁目にレンガ造の日本基督教団札幌北光教会会堂が落成する。大正十一年南大通西七丁目にレンガ造古典様式の札幌独立基督教会クラーク記念会堂が完成する。同年北大通西三丁目に鉄筋コンクリート造二階建の北海タイムス社屋が落成する。十五年大通の西端、西一三丁目に札幌控訴院庁舎が完工する。大通西二丁目に向かい合って建つ石造の札幌郵便局舎との調和に配慮し、外壁を軟石造、内側をレンガ造とする。二階床、階段の鉄筋コンクリート造ととも、珍しい混構造の建築である。石材の材質感と抑制された意匠の立面は、大通公園の西方の景観を引き締めている。
写真-6 大正13年頃の大通公園 西1,2丁目は現在より狭かった(北海道写真帖 大14)