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穴ノ沢の軟石と石造倉庫

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 『事業報告』第三編では明治八年に「石狩国札幌郡穴ノ沢ニ於て建築用軟石千九百八十五個ヲ採掘ス」とある。穴ノ沢は現在の南区石山で、「個」とは一立方尺(=才)を指す。翌九年開拓使は穴ノ沢に至る運搬路を開削する。山鼻村(屯田兵村)からマコマナイを経て石山まで、直線の馬車道を九年十月下旬着手し同年十二月上旬落成させるのである(開拓使日誌、ただしマコマナイ牧場内の一部区間、御雇外国人ダンの申し立てにより明治十年の融雪後直ちに築造とある)。九年十二月、開拓使は穴ノ沢軟石と八垂別硬石を使う石蔵を本庁構内に建てることとし、工事を開始する。『工業課報告』(道文七一四一)はその「営繕報告書」で工事の顚末を次のように述べる。
該庫ハ同郡(札幌郡)円山産ノ硬石ヲ以テ築造スベキ見込ニシテ試掘セシニ、石質悪ニシテ建築ノ用ニ適セズ、故ヲ以テ該庫ノ地面下穴庫ハ硬石ヲ以テ築造シ、地面上ハ渾テ同郡穴ノ沢軟石ヲ以テス。其硬石試掘ノ際、札農学校雇外国人デ・ピ・ペンハローヲシテ石質ヲ点検セシ左ノ報告書(略)ヲ出セリ。

 工期二カ年の長期間を要して十二年十二月完成する。二階建、建坪一五坪(延三〇坪)の建物で工費九二四七円余と記録されている。一坪当たり建築費は三〇八円ほどで、きわめて高価な建物となった。
 開拓使札幌本庁構内の石蔵の着工と前後して、渡島通三七番地の元開拓使御用請負人水原寅蔵が石倉の工事に着手する。現在の中央区南一条西四丁目北向きの位置で、建坪一五坪二階建の軟石造倉庫である。同時に新築の洋風店舗併設住宅に並べて建てたものである。札幌本庁構内の石蔵のほうが前述の事情で工事期間が長引いたため、十年七月先に落成する。札幌の石造建築の第一号である。
 開拓使は九年九月の「家屋改良告諭」の趣旨に沿う建築として、長官名の賞詞を与えた。顧問ケプロンの建言の「薄紙様ノ家屋ヲ堅材或ハ石造ニ代へ、本道住居ノ体裁ヲ改革スヘキ事」の方針を体現したものとして評価したのである(ケプロン第一報文 明4・11)。