該庫ハ同郡(札幌郡)円山産ノ硬石ヲ以テ築造スベキ見込ニシテ試掘セシニ、石質悪ニシテ建築ノ用ニ適セズ、故ヲ以テ該庫ノ地面下穴庫ハ硬石ヲ以テ築造シ、地面上ハ渾テ同郡穴ノ沢軟石ヲ以テス。其硬石試掘ノ際、札農学校雇外国人デ・ピ・ペンハローヲシテ石質ヲ点検セシ左ノ報告書(略)ヲ出セリ。
工期二カ年の長期間を要して十二年十二月完成する。二階建、建坪一五坪(延三〇坪)の建物で工費九二四七円余と記録されている。一坪当たり建築費は三〇八円ほどで、きわめて高価な建物となった。
開拓使札幌本庁構内の石蔵の着工と前後して、渡島通三七番地の元開拓使御用請負人水原寅蔵が石倉の工事に着手する。現在の中央区南一条西四丁目北向きの位置で、建坪一五坪二階建の軟石造倉庫である。同時に新築の洋風店舗併設住宅に並べて建てたものである。札幌本庁構内の石蔵のほうが前述の事情で工事期間が長引いたため、十年七月先に落成する。札幌の石造建築の第一号である。
開拓使は九年九月の「家屋改良告諭」の趣旨に沿う建築として、長官名の賞詞を与えた。顧問ケプロンの建言の「薄紙様ノ家屋ヲ堅材或ハ石造ニ代へ、本道住居ノ体裁ヲ改革スヘキ事」の方針を体現したものとして評価したのである(ケプロン第一報文 明4・11)。