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藻岩村の成立

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 円山村山鼻村を合わせて、明治三十九年四月一日に二級町村の藻岩村が設置された。広袤は東西二里(約七・九キロメートル)、南北一里(約三・九キロメートル)、面積は約八方里(約一二三・四平方キロメートル)であった。四十二年四月一日現在の戸数は、大字山鼻村が九〇〇戸(本村七三二戸、白川・八垂別一六八戸)、大字円山村が一四四戸、合計で一〇四四戸であった。人口は、大字山鼻村が三九二五人(本村三三六一人、白川・八垂別五六四人)、円山村が一〇一二人、合計で五〇三七人であった。
 職業別にみると、農業は五一一戸で約半数を数えていたが、会社員・官公吏・教員一〇七戸、商業一〇一戸、製造業一一二戸、雑業・馬車追業一六一戸となっており(藻岩村一班)、旧山鼻兵村部の本村を中心に、都市職業層の割合が高かった。これが本村区域が札幌区に編入となる大きな原因となったのである。
 四十三年四月一日に都市化していた旧兵村部の本村一六三八町、六七六戸、二九七一人が札幌区に編入となった。面積、人口、戸数とも、同時に編入された四地区の中では最大のものであった。これにともない円山村一三一番地(現南二西二四)に役場が移転され、四十三年六月五日に落成開庁式が行われている。もと養樹園の建物を移設したものであったが、これにより円山が藻岩村の中心となっていく。

写真-3 都市化により札幌区に編入された山鼻町東屯田通(大正初期)

 境界変更後の藻岩村には以下の一二部が置かれていた。すなわち、大字山鼻村には伏見、上山鼻、四号ノ沢、五号ノ沢、八号ノ沢、石山通、白川の七部、大字円山村には五条通、一条通、神社通、界川、滝ノ沢の五部である。