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野菜に関する組織

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 野菜生産は、たまねぎのような移輸出農産物を除けば、市街地への供給を目的とする小規模生産であり、もっとも都市近郊的な性格をもっている。したがって、生産自体も個別的であったが、資材の共同購入や技術交流などのために農家小組合がしだいに発生してくる。以下は、大正九年設立の琴似村果樹疏菜組合への加入の勧誘状である。
近年果樹及び疏菜の栽培は益々有望なる事を認め、且つ官庁に於いても十二軒山手地方は最適地と着目せられ、それぞれ勧誘の次第も有之候処、今回別紙の通り琴似村果樹疏菜組合の設立相成候に付き従来栽培せらるる諸士は勿論是より栽培せられんとする方は此際御加入相成様勧め致度而して苗木の配布に付きても、同組合員に配布の特典に有之次第、非常に有益と存ぜられ候に付、多数御加入を御勧め致候也
(琴似町史)

 ただし、こうした申し合わせの組合の設立はいまだ端緒的なものであり、農家小組合の組織化は北海道庁が「農事実行組合奨励規定」を作定し、町村農会が設立奨励を行う昭和期を待たなければならなかった。ただし、後に大根の漬物用加工などで有名になる琴似村南三番通農事実行組合が大正九年に設立されており、第一次大戦後にはすでに組織化が始まっていることが注目される(農家小組合に関する調査)。
 出荷に関しては、当初は農家個々が背負ったり、馬で運んだりして売り歩く「振り売り」が一般的であったが、次第に朝市的な販売拠点が形成されてくる。記録では明治四十年に山鼻村一〇〇二番地に青物市場が犬飼吉也に許可がおりている(北タイ 明40・11・19)。札幌区内に関しては、果実・疏菜商による青物市場が大正六年に設立されるが(四章二節参照)、農家団体が主導する朝市が都市近郊で次第に形成されてくる。七年には藻岩村円山村で疏菜組合が設立され、とくに後者の円山朝市は有名であった。