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定山渓鉄道の敷設

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 札幌停車場を起点とし、白石村を経て定山渓に至る鉄道を敷設しようと企てられ、大正元年十二月、その延長一八マイルの実測を終了した。目的は木材の搬出、貨物運輸と定山渓温泉への客の招来である(北タイ 大1・12・7)。その主唱者である松田学によると、三十一年に道庁を辞して以降、定山渓までの鉄道敷設の構想を持っていた。ところが四十五年春に来札した宮内省御料局会計次長と会談した際に、御料林の木材輸送鉄道について話題となり、三〇万円もあれば定山渓までの鉄道が可能であると答えたという。そのことが定山渓鉄道計画のはじまりであるという(小樽新聞 大7・10・17)。
 その後大正二年一月二十七日、有志と定山渓鉄道株式会社設立の打合せを行う予定であった(北タイ 大1・12・7)。松田の話では、二月一日に打合せを行い、発起人二四人で事業遂行することに決した。その計画は、設計経費概算七〇万円で、同月十二日に認可を申請し、七月認可を得た。ところが補助金を期待していた御料局からの協力を得られなかったため、株式募集をしなかった(小樽新聞 大7・10・17)。三年一月六日、以前は苗穂駅から分岐する計画であったが、計画を変更し白石駅を分岐点とすることにして、発起人会を開き協議した(北タイ 大3・1・7)。その後四年になると三〇万円の資本金とし、最も軽便な鉄道の敷設とすることにして、株式募集を開始した。株式募集は十二月に募集完了し、十二月二十日に創立総会を開催した。五年七月工事入札、七年十月十七日に開通した。鉄道院線の白石駅を起点とし、豊平駅、石山駅、藤の沢駅簾舞駅を経て定山渓駅に至る一八マイル余である。運賃は、白石定山渓間二等一円三二銭、三等七五銭であった(小樽新聞 大7・10・17)。