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札幌茨戸間の馬車鉄道

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 明治四十一年二月三日、石狩町大字生振村村会議員鳥羽熊三郎ほか一四人が、北五条西一丁目を起点(大正期の地図では北七条東一丁目まで軌道があったように描かれている)とし、篠路村大字茨戸に至る馬車鉄道敷設の願書を札幌支庁の手を経て内務省へ出願した(北タイ 明41・2・10)。その後四十二年十一月に発起人総代人の七条良実が上京し、関係各省へ認可速成を陳情し(北タイ 明42・11・23)、十二月二十日認可を得た(北タイ 明42・12・26)。それに先立ち十一月二十七日札北馬車軌道株式会社創立事務所は、北三条西一三丁目四番地で創立事務を行うことを、北海タイムス紙上に広告を出した(北タイ 明42・11・27)。その後創立事務所を北八条西四丁目に移した(北タイ 明43・6・3)。四十三年六月二十六日創立総会を開き、役員を決定した。役員は取締役社長安達力三郎、取締役兼支配人七条良実、取締役高橋宗吉、安孫子庄七、近藤新太郎、監査役村田不二三久保兵太郎となった(北タイ 明43・6・27)。
 十月二十六日には軌道工事も竣工し(北タイ 明43・10・28)、その後茨戸停車場の建設、同停車場付近への一の橋架設、積雪中の馬橇の準備などを行って、明年一月一日開業予定となった(北タイ 明43・12・25)。正式な開業日については確認できなかったが、融雪期となった翌年三月十日「積雪の為め暫く車両運転を休止し居たる札幌茨戸間の馬鉄」が、全線除雪終了して開通する予定を伝える新聞記事(北タイ 明44・3・9)があるので、一月初旬一時的に営業を行ったと思われる。

写真-3 札北馬鉄株式会社札幌停車場(北6東1辺)