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新聞記者と社会主義

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 三十四年五月、土岐孝太郎北海道毎日新聞に入社した。入社の辞は「社会主義、平和主義、平等主義」の抱懐者であることを披瀝したものであったが、社会主義についての発言は北海タイムスに移ってからであった。
 東京専門学校で西川光二郎と同期であった碧川企救男は、囚人問題研究のため北海道に渡ってきたが、新聞記者に転じ、北海時事を経て北海タイムスに入社し、文芸欄の刷新につとめた。三十五年三月十六日には北海タイムスに「哲学職工」という小説を発表している。その後小樽新聞に移り、紙面で社会問題を積極的にとりあげ、小樽の社会運動を推進させた。