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大正大礼と国民統合

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 大正大礼の年、大正四年には日露戦後の国民統合が加速度的に押し進められる。一月九日には、札幌支庁管内の帝国在郷軍人会各分会連合分会が旗揚げするし、五月十日から二十一日まで、道庁主催の全道の官吏を対象とした地方改良講習会が行われるが、自治の精神、財政の整理改善、教育行政、土木行政、衛生行政などの「改良講演」が催され、物産陳列場、遠友夜学校北海タイムス工場、農科大学農事試験場、麦酒会社、感化院などへの「実地視察」がなされた(北タイ 大4・5・8)。また大礼の記念事業として、札幌区の在郷軍人会は藻岩村字山鼻元火薬庫付近の官林の払い下げをうけ、藻岩山麓に植樹を計画した(北タイ 大4・5・8、7・10)。一方、北海道自治協会が八月二十二日に発会式を行ったが、道庁長官を総裁に同内務部長を会長にいただき、官公吏一〇〇〇人以上を会員とした。自治協会は町村の進歩発達に貢献を目的とし、道庁の地方改良講習会と連係し、「地方の開発、民風の改善、産業の発展、開拓の完美てふ四綱領」を掲げた(北タイ 大4・8・22)。また大礼に関わって簾舞の青年会では、記念事業として、青年文庫の設定、花ヶ岡神社境内への松および水松の植樹、明治神宮への水松の献納、『簾舞沿革志考、附録簾舞八景』(大4・11刊)の編纂を行った。こういった郷土誌の編纂にみられる地域の歴史意識の形成と、地方改良運動は深く関わっていたのである(高木博志 史蹟・名勝の成立)。