公設便所は、三十二年区制施行段階で区内二九カ所に設置され、汲取掃除は衛生組合長の責任とし、札幌区役所より一カ所につき掃除料として一年五円ずつが支給されていた。しかし、その掃除は隔日に実施されることになってはいたが、いずれも不潔で、その近傍へも近寄れない有様のため、三十四年からは汲取人に掃除方を委託した(道毎日 明34・3・26)。
四十三年には毎日一回ずつ掃除をするようになり、消毒剤も散布するなど清潔につとめ、随時破損個所も修繕していく方針を取るようになった。また大通西二丁目、南一条西一丁目、南三条西一丁目、南四条西三丁目、北三条西三丁目、北八条東一丁目の公設便所には電灯が点じられた。大正七年(一九一八)の博覧会開催中は新たに二カ所設けたり、会場への通路・周辺地域にある公設便所へは臨時に電灯も点じられ、掃除人夫も増員して清掃につとめ、博覧会見学に訪れる人びとたちが札幌の印象をこわさないように清潔につとめるのだった(札幌区事務報告)。