明治四十一年五月、東北帝国大学農科大学内に学生藍野祐之、原田三夫らによって黒百合会が結成され、前年同大の英語教師として赴任した有島武郎が会長的な役割を果たした。同会は結成の年の秋から毎年展覧会を開いたが、有島が『白樺』の同人であり、同誌は文芸誌だけではなく美術誌でもあったことから、黒百合会の展覧会には、会員の作品だけにとどまらず、中央の画家の作品、さらに当時としては貴重だった西欧の画家の複製画(ゴッホ、セザンヌ、ゴーガン、マチスなど)も併せて展示し、また大正元年の第五回展ではロダンの作品も陳列され、札幌の若手画家ほか美術愛好家にも大きな影響を与えた。大正十年頃までに紹介された画家は田辺至、長原孝太郎、有島生馬、長谷川昇、南薫造、三宅克己、藤井浩祐、岸田劉生、正宗得三郎、梅原竜三郎、関松正二などで、これらの展示によって印象派、後期印象派がはじめて札幌に紹介されたといっても過言ではない。また大正元年の第五回展覧会では札幌中学校、北海道師範学校側の申入れにより、それらの学校生徒の作品四四点が併せて展示されたが、これはこの回だけで終わった。
これらを含め、第五回展の様子を新聞記事でみてみよう。参考室にはロダンの彫塑のほか藤井浩祐の木彫、油絵として眞山孝治、田辺至、有島生馬、宇和川通喩、水彩は南薫造の作品が画題と寸評を加えて紹介されている。今回の作品は油絵一五点、水彩七八点、パステル画二点、石膏三点計九八点で、「昨年の同会を観た者は、恐らく此長大足の進歩に驚嘆を禁じ得ぬであらう(中略)更に自己の特性ある見方を其描法に迄打出さうといふ貴い作さへ見える」(北タイ 大1・10・20)とした上で、九点ほどの作品の印象を記している。この時期の黒百合会は、新しい美術の導入、普及の主体として特記すべき活動を示したといえる。そして大正十年六月には同会の代表作家の服部正夷、今田敬一、山田正が約六〇点の油絵を展示して三人洋画展を開くまでになった。