高倉新一郎『北海道出版小史』によると、出版が発達するためには三つの要素が必要であるという。すなわち、第一に著者・編者の存在、第二に読者の需要を反映する書籍店があること、第三に印刷技術の存在である。北海道の出版文化の遅れは、これらの要素の未発達に起因していた。しかし、それもこの時期になってようやく発展の兆しが見えてきた。
札幌の出版文化は、東京にあった開拓使の印刷所(後の札幌活版所)が明治十年(一八七七)に札幌に移されてから発展した。それまで官庁が担っていた出版活動は、この印刷所の設置により官庁にかわって民間が担うようになった。出版文化の草創期を支えたのは、二十年九月に前野長発が開いた玉振堂、あるいは二十四年五月に前野が村尾元長、岡本甚吉、荒甚三郎、石塚猪男蔵とともに設立した北海道同盟著訳館などであるが、その後は冨貴堂・維新堂・文光堂が主な担い手となった。
前述した三要素のうち、第一の著者・編者の存在については、この村尾元長や前野長発といった人物を挙げることができるだろう。特に村尾元長の編著書は、『北海道史談』『現今北海道要覧』『移住案内北門之鍵』『北海道漁業志要』など当時としては非常に多く、『北海道出版小史』では村尾を「北海道における最初の偉大な著述家」と記している。「著者・編者」が現れたことで、次にはその著書を販売する「場」が必要になる。第二の要素、書籍店の出現である。
このような状況で開店したのが、「札幌における書店の元祖」(北海道出版小史)前野長発の玉振堂である。玉振堂が草創期の出版文化を支えたことは先に述べたが、その後の出版界を支えたのは冨貴堂など、この時期に開店した書店である。