日本における絵葉書の歴史的特質を考える出来事として、以下の六点を掲げることができる。
一つは、郵便制度そのものの回路を通って、ドイツなどを中心に外国の絵葉書が日本に流入したことにより、人々の興味を引いたこと。二つは、制度としての私製葉書製造が認可(明33・10・1)されたことで、流通の法的基礎が保証されたこと。三つは、「万国郵便連合加盟二十五年記念」(明35)官製の記念絵葉書をはじめとして、日露戦争記念絵葉書(明37~39)の蒐集ブームが起きたこと。四つは、戦争の慰問のため芸妓をモデルとした美人絵葉書が流行していたこと。五つは、明治末期において新聞ではまだ本格的に採用していなかった時事的な写真を、印刷流通させる手頃な視覚的媒体となったこと。六つは、旅行文化の進展とともに旅土産の風習と結び付いて、名所絵葉書が広く定着したことである(佐藤健二執筆稿 絵はがき『大衆文化事典』)。
これらは全国的な観点であるが、札幌での絵葉書の発行は、新聞記事に見る限り北海道を紹介するのが目的だったということは、「北海道を紹介するには不言の好土産なるべし」(北タイ 明39・9・8)「さながら実景に接する如く未だ札幌を知らざる人に之を発送せんには居ながらにして其全景を知るにたる」(北タイ 明41・11・7)などといった記事から明らかである。この頃は出版物も案内記類の発行が相次いでおり、観光はもちろん、あるいは移民の招致というようなことも根本にはあったのかもしれない。また、四十年三月二十八日(四月一日施行)に郵便規則が改正され、郵便葉書(絵葉書)の表面下部三分の一以内に通信文の記載が認められたことも、絵葉書の発行が激増した一因であった。特に北海道は本土からの移住者もあり、近況を知らせるにしても北海道を紹介するにしても、絵葉書は格好の手段であったに違いない。
写真-12 北海道拓殖絵葉書(北海石版所発売,明治末頃)
絵葉書の表の下部3分の1に通信文の記載が許された(明40.4.1)。
札幌では冨貴堂、維新堂などの主な書店の他、日本赤十字社の愛国婦人会、武林写真館、北海道物産共進会などが絵葉書を発行している(表8)。
表-8 明治・大正期の主な絵葉書の発行状況 |
名称 | 発行・発売 | 発行年月 | 備考 |
札幌十二景 | 冨貴堂 | 明37年12月 | 12枚1組27銭 |
本道旧土人熊祭の絵葉書 | 北海石版所 | 37.12 | |
札幌名勝絵葉書 | 冨貴堂 | 38.10 | 12枚1組45銭 |
北海の名果 | 冨貴堂 | 39. 9 | 6枚1組 |
愛国婦人会北海道支部 第一回総会記念絵葉書 | 日本赤十字社北海道支部愛国婦人会 | 39. 9 | 2枚1組 |
北海の風景 | 武林写真館 | 39. 9 | 20種,1部50銭 |
北海道物産記念絵葉書 | 北海道物産共進会 | 39. 9 | 3枚1組18銭 |
北海道物産記念絵葉書 | 北海道物産共進会 | 39. 9 | 6枚1組 |
展覧会記念絵葉書 | 札幌絵はがき同盟 | 39.10 | 2枚1組 |
新年絵はがき | 札幌絵葉書会 | 39.12 | 通常売店の二割安 |
畜産共進会記念絵端書 | 北海道畜産共進会 | 41. 8 | 2枚1組5銭 |
札幌全景絵葉書 | 維新堂 | 41.11 | 6枚1組40銭 |
札幌全景 | 札幌写真版印刷所 | 42.10 | 9枚続き |
長官追悼記念葉書 | 二六堂 | 44. 5 | 5枚1組 |
札中雪戦会 熊祭り | 冨貴堂 | 大 2. 1 | 実況 ハガキ |
開道五十年記念 北海道博覧会記念絵葉書 | 北海道協賛会 | 7 | 3枚1組15銭 |
開道五十年記念絵葉書 | 北海道絵葉書俱楽部 | 7 | 3枚1組15銭 |
博覧会実況絵葉書 | 維新堂 | 7 | 北海道農友会編 |
北海道博覧会記念絵葉書 | 維新堂 | 7 | 6枚1組10銭 |
『北海タイムス』より作成。 |